元競走馬を引き取りオーナーに!数々の試練を乗り越え生まれた、人と馬の絆の物語。by 井口 久美子さん
「withuma.」vol.25 井口 久美子さん
Profile
お名前:井口 久美子さん
居住地:埼玉県
Twitter:ガトーブリランテ(@Attrice0303)
第25回は、井口久美子さん、元競走馬・ガトーブリランテを引き取り、引退馬オーナーとして活動されている女性の方です!
いったいどのような「withuma.」を送っていらっしゃるのでしょうか?
井口 久美子さんの「withuma.」
私は競馬というより馬が好きです。
だから乗馬もします。
4年前に、早期退職したのをきっかけに、大好きな馬をもっと知りたいと乗馬クラブで半年間厩務員養成コースを受講し、修了後は、乗馬クラブでバイトをしたり養老牧場のときがわホースケアガーデンでボランティアをして厩務の勉強を続けました。
以前から引退競争馬に興味があったのですが、多くの馬に関わる中で引退競走馬のために何かをしたいという思いが高まり、ちょうどその時に膝の故障で突然引退となった一口出資馬「ガトーブリランテ」を引き取り、現在に至っています。
少し時間を遡りますが、私が最初に好きになった馬はスペシャルウィークでした。
引退後も、彼に会いたくて定期的に北海道に訪れるようになり、引退馬の存在を知ることになったのも彼がいたからです。
その後、大好きだったディープインパクトが引退した時、彼に会える特典がある一口馬主クラブに入会。
入会当初、引退した出資馬に会おうとクラブに行先を聞いて訪ねていくこともしていたのですが、どの馬にも幸せな未来があるわけではないことを知るようになってからは、引退後の行先を知ることをためらうようになりました。
乗馬クラブでの厩務員の勉強は、主に実践を通じて行われ、けがや跛行した馬の世話をすることもありました。
その一頭である牡馬は、諸々のストレスで気性も荒くなっていました。
脚を冷やし、手入れをする中で、以前よりおとなしくなったかなと思っていた頃、ある朝厩舎に行ったらその馬はいなくなっていました。
馬は経済動物である、懸命な治療の結果だからしょうがいのかもしれない・・馬のために何かをしたい、でも、自分には何もできない。
そんなやるせ無さを感じていた中、2020年6月にガトーブリランテの引退がクラブから発表されました。
理由は膝の故障で、引退後は乗馬になるということ。
膝に問題がなくクラブの規定である6歳まで走っていたら彼女は2勝し、繁殖牝馬になった可能性はあったかもしれないです。
乗馬というセカンドキャリア。
彼女の気性や膝の問題から、それは難しいのではないのではないか?
悶々としていた時に、同じ馬に出資し、知り合いになった方から、引退競走馬を引き取る手段があることを教えてもらい、意を決して引き取ることにしました。
直ぐに一口馬主クラブに引き取りを申し出たところ、既に牧場に譲渡したとのこと。
行き先の牧場に電話し、
「ガトーブリランテを引き取りたい」
と伝えましたが、
「ここにはいない」
という言葉が返ってきました。
間に合わなかったのか?
そうドキドキしながら、再度確認を依頼。
長い沈黙の後、別の女性が電話口に出て、分場にいると教えてくれました。
この様な経緯があったので、彼女の姿を見るまでは、本当に生きているのか、本当に会えるのか半信半疑でした。
7月16日、預託先であるときがわホースケアガーデンに馬運車が到着し、ドアが開き、彼女の後ろ姿をみた時は、心の底から「生きていてよかった」と思いました。
私は、馬がつないでくれる、人とのご縁を大切にしています。
そのご縁が、引退競争馬を支援する活動を下支えしてくれていると感じます。
馬は人をつないでくれる不思議な力を持っていると思います。
ガトーブリランテを引き取った当時、彼女が生きていることを知ってほしいと、彼女の競走馬掲示板に、今はときがわホースケアガーデンにいるというメッセージを載せました。
掲示板で頻繁にコメントをしている人にも、友達申請をして居場所を伝え、出来れば会いにきてほしいと伝えました。
正直言って、
「引退した彼女に誰も興味がないだろう」、「訪れる人はいないだろう」、そう思っていました。
ある日のこと、「こちらでガトーブリランテがお世話になっていると聞きました」と会いにきてくれる人がいました。
その方は出資者さんのご家族でした。
他にも彼女に会いに来てくれる人がいました。
その中の一人が、彼女の記事をネット上に投稿し、さらに多くの人とつながりました。
「貴方が持っているほうがふさわしい」と勝利ゼッケンを譲っていただいた方。
「自分も何かをしたい」と、当時牧場で使っていたネームプレートを送ってくれた、ブリの育成を担当していた方。
ときがわホースケアガーデンに訪れた人の中にも、ぶりちゃんのファンになってくれる人もいて、ガトーブリランテを応援する小さな小さな輪ができました。
そのコアとなる「ぶりちゃんの会」のオフ会を、7月に開催したのですが、10名が参加し、北海道や神戸から来て下さる人もいました。
メインイベントはぶりちゃんに乗ること。
乗馬未経験者の方は、恐る恐るまたがりつつも、自分が出資した馬の背中を味わっているように見えました。
乗馬経験者の中には、ぶりちゃんに乗って見える風景を録画したいとカメラを胸にぶら下げて騎乗している方もいました。
プロの乗り手が乗るとピリっとして、いつもと違う表情のぶりちゃんを見ることもできました。
乗るごとに歓声があがり、笑顔があふれる・・ぶりちゃんを中心に、皆で共有する時間がそこにはありました。
一体感を持った瞬間でした。
10月1日、ぶりちゃんはときがわホースケアガーデンを卒業し、今は群馬県前橋市にあるニューホープステーブルで乗馬になるためのリトレーニングを受けています。
長い馬生を思うと手に職をつけておいたほうがいいだろうし、私自身ぶりちゃんに乗りたいという気持ちがあったからです。
現在、メンタル面を含め、トレーニングは順調に進んでいますが、問題は引退の原因となった膝が乗馬に耐えうるかどうかです。
調教師、牧場のスタッフ、獣医、装蹄師の方が一つのチームとなってサポートがして下さっていて、ここにも新しいご縁が生まれています。
ぶりちゃんの未来はクリアではありませんが、このようなぶりちゃんがつないだ人たちの支援・知恵を借りながら、考えていきたいと思っています。
今後の目標は、ぶりちゃんの未来を作ることです。
そして、その過程・ストーリーが、他の馬の支援の一助になればいいなと思っています。
井口さんとガトーブリランテの壮大な物語、大変心動かされるものがありました。
いつも思うことなのですが、やはり現場で支援をしてらっしゃる方には、本当に頭が上がりません。
ただただ尊敬するばかりです。
私も、自分の大好きな馬の面倒を自分で見ることができれば、それはそれはとても幸せなことだと兼ねてより妄想を膨らませております。
この記事を読まれた方の中にも、
「私も引き取りたい!」
と、思って方もいらっしゃるのではないでしょうか。
では、井口さんの様に引退馬のオーナーとなるには、どの様な方法があるのか。
1番手軽にオーナーとなるには、引退馬支援団体が提供しているサービスを利用することがあげられます。
引退馬協会さんであれば、フォスターペアレントという会員制度にて、会費が1,000円/月と、馬の維持管理費が2,000円/月(0.5口)。
TCCさんであれば、TCCオーナーという会員制度にて、一口5,500円/月(半口も可)にて、一口オーナーになることが可能です。
これらは、競走馬の一口馬主と同じく、複数人で1頭の馬を金銭的に支える制度です。
一方で、引退馬支援団体に頼らずに、ご自身で引退馬を引き取るとなると、交渉、馬運車の手配、預託先の手配等、まだまだ他にもやるべき事は沢山あり、かなり大変な試みになってしまいます。
こういった部分を引退馬支援団体に一部手伝ってもらう方法もあります。
引退馬協会さんでは、再就職支援プログラムという制度があり、あなたが引き取りたい元競走馬への再調教を行い、その馬が最も適した場所へと送り出してくれます。
馬を飼うのは簡単なことではありませんので、ご自身に合った形を探してみてください!
井口 久美子さんの「Loveuma」
馬の魅力と一言では難しいし、何故好きなのかは自分でもよくわかないのが正直な気持ちです。
けれど、酸いも甘いも、泣いて笑って、感動して落ち込んで・・生活に彩りを与えてくれるように思います。
ガトーブリランテを引き取った当時、引退馬協会の再就職支援プログラムに入れることを念頭に、それまでの間金銭的支援をしようと思っていました。
しかし、
「他の馬の扱いの難易度が1~2だとすると、ブリは4レベル。馬を知るにはよいパートナー」
というアドバイスもあり、オーナーとして世話をすることにしました。
正直言うと、それは決して楽しいものではありませんでした。
競走馬あがり、5歳という若さ、元来の彼女の性格からか、ぶりちゃんはこれまで乗馬クラブであったどの馬とも違っていたし、一ファン、一会員として馬と対峙するのとも異なりました。
「ザ・女子」の性格で、マイペースで好き嫌いをはっきり意志表示する。
厩舎は自分のテリトリーなので、女子高生が「部屋に入るな!」と怒るように、人に噛みつこうとすることも。
手入れをするとキーキー怒るし、丸馬場運動をすると本気になって後ろ蹴りをしてくることもありました。
「気持ちで負けてるんだ」と場長に叱られることも日常茶飯事。
自分に全く自信がなくなりました。
後に、馬は安全安心を与える人を、リーダーとして認めるという事を知りました。
つまり、私は全くリスペクトされてなかったのです。
人間同士なら相手に配慮してコミュニケーションをとることが多いと思います。
でもぶりちゃんは正直で、鏡のように自分や自分の弱さを映してくれているようでした。
それでも、上手くコミュニケーションできた時の喜び、上手くいかなかった時の落ち込み、紆余曲折の中で1年が経ち、関係が少しはできたかなぁと思った頃・・引き運動をしていた時に暴走され、自分は馬場にぶっ倒され右肘を骨折。
しばらくして、ぶりちゃんはぶりちゃんで1週間絶食するほどの重度の疝痛に・・・すべて振り出しに戻りました。
どうやったらぶりちゃんに認められるのか?
自分って何なのか?
馬って何なのか?
SNSで知り合った、ぶりちゃんを担当していた方にアドバイスを受けたりもしました。
グラウンドワークも勉強し、実践。
すると、徐々にぶりちゃんが受け入れてくれるようになり、怒ることも反抗することも少なくなっていきました。
ある日、久しぶりに自馬に会いに、ときがわを訪れたオーナーさんから、
「ぶりちゃん、変わったねえ・・・いや、ぶりちゃんじゃない、井口さんが変わった。すごく堂々としている。ぶりちゃん、いい馬になるよ」
と言われ、嬉しさがこみ上げてきました。
丸馬場運動の時、追い鞭をしてぶりちゃんを前に出すように仕向けるのですが、
「前に出て、そうすれば楽になるよ」
と話しかけるようになりました。
今、思うと、それはぶりちゃんにではなく、私に言っていたことなのかもしれません。
勇気を出して一歩前にでること、ぶりちゃんがそれを教えてくれたように思います。
私の好きな馬は、馬との接点を作ってくれたスペシャルウィークです。
直線で、後方から飄々と追い込み差し切る彼が、クールで大好きになりました。
馬とのいろいろな接点を作ってくれたのも彼でした。
乗馬を始めたのも彼のおかげ。
引退後も彼に会いたくて定期的に北海道に訪れるようになり、引退馬の存在を知ることになったのも彼がいたからです。
そして、ありきたりですが、ディープインパクトの大ファンでもありました。
当時何をやってもうまくいかず、何もやる気がおきない毎日を過ごしていました。
その折、ディープの衝撃的な走りを見て感動し、ふと気づいたら、彼の走りをみたくて関西まで遠征し、一人でフランスにまで行っている自分がいました。
レース前は自分事のように緊張し、レースが始まれば絶叫し応援する・・
「あれ?自分って元気だったんだ!
一人でフランスまで来れてるじゃん!」
ディープインパクトは自分のパワーに気づかせてくれました。
そしてガトーブリランテです。
この2年間いろいろな経験をさせてくれました。
ときがわに来た時の彼女は、現役馬さながらに目がつり上がっていました。
それが2年の期間を経て、心も体もリセットされて目がまん丸の可愛い子に。
そして、ニューホープステーブルで、メンタル面のトレーニングも課され、更に大人になった、「いい顔」をしたぶりちゃんがいます。
まだまだ、リーダーとしては認めれてないから、これからもいろいろあると思います。
でも、私の生活をカラフルにしてくれたぶりちゃんに、今は感謝しかありません。
井口さんとガトーブリランテ、人と馬が共に成長を遂げていく姿に心を打たれました。
また、馬をきっかけに人は変われるというご経験は、まさにホースセラピーの効果を体現されていると思います。
そしてサラッと仰っている部分ですが、ディープインパクトが大好きで、ふと気づけば1人でフランス遠征をされたというエピソード、度肝を抜かれました。
私も競馬ファン歴はそこそこあり、応援する牧場の生産馬を追いかけて、国内で遠征をする事はありますが、海外遠征は未だに未経験です。
もちろんコロナ渦で渡航が難しい時期だった事もありますが、それでもなかなか腰が重いところであります。
そういった部分からも、行動力に長けておられてる方だからこそ、フランス遠征然り、ガトーブリランテの引き取りを叶えられたのだと感じました。
"リーダー"に関するお話もありました。
サラブレッドは、元来の馬が過ごす環境とは異なった、競走馬となるための特別な環境で育てられます。
競馬では2歳時よりデビュー戦が始まるので、それに合わせて離乳の時期も早まり、母親と過ごす時間が短くなったり、個別管理へと移ることで、群れで学ぶコミュニケーション能力が存分に備わっていません。
競走馬として育てるのであれば、運動能力に支障をきたさない範囲で、離乳時期を早めることが可能だという理屈ではあるものの、まだ母馬への心理的依存が大きい仔馬には少し早いのではないかという認識です。
つまり、本来仔馬に社会関係を教える母馬や群れのリーダーに変わり、安心安全を提供することが、元競走馬との信頼関係を築く、リーダーとして認めてもらう方法という事になります。
これは実際に、引退馬のリトレーニングにおいても活用されている方法であり、井口さんの取り組みは、ロジックを備えた最善手であったと推察できます。
離乳時期に関する研究は、北海道大学・環境科学博士の田辺智樹氏の研究論文「サラブレッド種当歳馬の昼夜放牧飼養管理に関する栄養学的・行動学的研究」でも検証されています。
要約文が一般に公開されていますので、ご興味のある方はぜひお読みください。
引退馬問題について
私が行っている引退馬支援としましては、先述の通り、元競走馬「ガトーブリランテ」をオーナーとして引き取っています。
また、ときがわホースケアガーデンさんで、ボランティアとして厩務を支援している他、引退馬協会の会員として引退馬を金銭的にサポートもしています。
現場でのボランティアもやりたいと思っていますが、入会後コロナウィルスが流行したため実現できていません。
あとは、TCCのボランティアとしても登録しています。
引退馬問題はその大きさから、解決することが難しい問題です。
一人ひとりが、出来ることから、一歩前に出てトライしてみる。
その積み重ねが、問題を解決するための糸口を作っていくのではないかと思います。
私はぶりちゃんを引き取って、彼女の力も借りて一歩前に出ることができ、その結果いろいろな人と繋がり支援を受けることができました。
そういった経験から、まずは行動することが重要ではないかと思います。
現場でのボランティアは、引退馬協会さんのボランティアツアーのことかと思うのですが、近年はコロナ渦で開催されていませんよね。
私も引退馬に興味を持った当初、ホーストラストのボランティアで鹿児島に行った際に、養老牧場のリアルを目にしました。
自力で立つことが出来ない養老馬を、滑車を使って駐立させており、複数人がかりで排泄のお世話などをしていました。
その光景があまりにも衝撃的で、改めて命について考えさせられる機会となりました。
補足しておくと、馬は皮膚が薄いので、寝転がったままどちらか一方の皮膚を長時間下にすることができないのです。
精神的に来るものがありますが、辛い部分にも目を背けずに、現場での取り組みを知るための行動を取ることは、普段現場には居ない人間だからこそ、大切な機会だと思っています。
仰るとおり、「まずは行動すること」がとても大切だと感じます。
先述のように、井口さんの行動する力は、ご自身にも周りにも大きなエネルギーを生んでいると思います。
引退馬問題の現実を知った上で、そこから行動できるかどうかが大きな分岐点になると感じます。
これからも井口さんのご活動と、ガトーブリランテの乗馬への新たな挑戦を見守っていきたいと思います!
今回は、元競走馬・ガトーブリランテを引き取り、引退馬オーナーとして活動されている、井口 久美子さんの「withuma.」を伺いました!
毎週定期更新してまいりますので、次回もよろしくお願いいたします!
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協力:井口 久美子さん 取材・文:片川 晴喜 編集:平本 淳也 著作:Creem Pan
運営さん推奨の研究論文も面白かった!
栄養学的には生後3ヶ月~4ヶ月頃から離乳可能ではあるが、4ヶ月齢の仔馬と母馬の母子間距離はまだ相当に近く(本研究では最近接個体割合56.0%)、仔馬が他の仔馬・母馬にも近づいているとはいえ頭の中は「もしものときにはママがいる」状態なので、仔別れを実行するにはやや時期尚早ではないか、というお話ですよね。
現状は、概ね5ヶ月~6ヶ月齢あたりを目安に離乳させる牧場が多いのではないかと思います。
ただし例外もあり、真っ先に思い浮かぶのがスペシャルウィーク。
母キャンペンガールが激烈な疝痛の中で出産して5日後に亡くなり、輓馬の桃姫号🍑を乳母として育ったため、日高大洋牧場での幼名は「バンちゃん」だった。(桃姫は気性が荒かったと書かれている資料もあるが、飼主さんご夫婦は「桃ちゃんなら優しいからお乳をあげるよね」と思って快く乳母馬に貸し出したという話もある。事実お乳をあげたんだから「優しい桃ちゃん」が本来の性格だったのだろうと私は思います)
お母さんのいないバンちゃんは、乳母馬に慣れるまでは人間にあれこれと面倒をみてもらいました。放牧地では、特に仲間はずれにされたというわけでもないのに、なぜかひとりで遊ぶのが好きでした。早くから馬より人になじんで育ったので、他の仔馬を見ても「あのこたちは自分とちがう種類のいきものだ」と思っていたのかもしれません。
重種馬は軽種馬よりお乳が3~4倍も多く出るそうで、仔馬をたらふく飲み放題にしておくと急に育ちすぎてDOD(成長期整形外科疾患)を発症することもあります。というわけで、バンちゃんは母乳摂取抑制のため、同期の仔馬たちより一ヶ月早く、生後4ヶ月で離乳させられました。
早期離乳にもかかわらず、バンちゃんがブレーキング(騎乗馴致)も素直にこなして、グレることも拗ねることもなく名馬スペシャルウィークに成長したのは、「もしものときにはヒトがいる」と初めから認識して育ったからではないでしょうか?
育成段階(特に初期〜中期)では、昼夜放牧により馬同士の群れでの社会性を身につけさせると同時に、人間との絆も必要十分に形成しておかないといけませんね。
「ママ」から「ヒト」へ、“リーダー” の移行をスムーズに受け入れる助けになるはずで、この受け入れの可否・難易が、後の馬生を左右する決定的要因になるかもしれません。
井口さんと馬たちの物語。
珠玉の短篇を読み終わった時のような充実感に身を委ねております。
事実を淡々と語っておられるだけなのに、いや多分、それだからこそ心に響くのでしょう。
そして語られた事実を振り返ってみれば、何もかもが、まるであらかじめ決まっていた運命であるかのようにすら見えてくる。あらゆる出来事が起こるべき時に起こり、迷いつつたどってきた全ての道に、実は「この道しかない」と心を決めさせてくれた密かな道標があったかのような。。。。
普通は作家が四苦八苦して、この流れ(↑)が嘘っぽく見えないように創作するわけですが、時として現実はいとも軽々とフィクションを超えてしまう。競走馬が登場する話は、特にそうではないかと思います。
現役時も引退後も、一頭々々の馬に、それぞれが主人公となるべきドラマがあり、人はそれを語り継ぐ。
井口さんという最高のパートナーにして語り手に巡り会えたガトーブリランテ号。どうか共に健やかに、長い長い幸せな物語を生きていってください。
(ツーショットを拝見する限り、パートナーのことを絶対的リーダーとは思わないまでも、異父母姉妹の「お姉さん」ぐらいの敬意と親族意識は育っているような気配を感じます。言うことをきかなきゃいけないのはわかっているけど、時々甘えてわざと反抗してみたりするような間柄の、親しいお姉さん)
つぶらな瞳の美人さんタイプのぶりちゃんに、冒頭のTwitterアカウント名 “Attrice” (アットリーチェ=女優)を重ねてしまいました。お誕生日は3月3日ですよね。🎎☺️