「絵馬市」を守り伝える先人から学ぶ、"作務"の本質🐴👨🏻🦲🪷
- Loveuma.
- 12 分前
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かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。
「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。
その情緒こそが文化財である「絵馬市」
しかし最後まで重厚な仏事であった。 響くのは幾重にも重なる読経の声のみ。 馬たちも神馬としての役割をしっかりと果している。 時折、ちょっと前掻きをして砂利の音を響かせる程度で、法事の雰囲気を作り上げてくれた。
法要が終わったあと、今度はまた別の馬の一団がやって来た。 これは昔の記録にある「馬の観音参り」を復活させたもの。 近所の武蔵逍遥乗馬会に協力してもらっている。 3キロほど離れた乗馬クラブから、この境内まで外乗でやってくるのだ。 観音堂の周りを馬と一緒に3周し、馬体安全を願うという愛馬精神にまみれたイベントだ。
10頭近くの馬が境内を歩きまわる非日常感は、やはり壮観のひとこと。 観音様のご加護が、ハラハラと人馬に降り注いでいるのを感じる。 なにより「馬と一緒に観音様にお詣り」して、馬の世の安寧を願うって素敵すぎると思うのだ。
とまあ、こんな感じで、とにかく結構「馬にまみれる」例大祭となる。 何故こんなウマウマしい催しが、馬界隈に周知されていないのか、もはや不思議ですらある。
絵馬市の様子を見に戻ってみた。 既にほぼ完売状態。 根岸さんは、それでもやってくるお客さんに対して残量僅かであることを詫びたり、先程の説明を繰り返している。 体調を気遣うお孫さんが、側にいて上着を羽織らせ、椅子で休憩することを勧めていた。 それでも根岸さんは人が来れば、スッと立ち上がり説明を繰り返す。
じつは去年、根岸さんは体調を崩してしまい、今も万全とは言い難いはずだ。 それでも「景気良く絵馬を頒布したい」のだという、昭和の男の気概というか、もはや気迫に近いものを感じる。
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「作務(さむ)」という。いわゆる「作務衣(さむえ)」の作務だ。
これは単純な作業や労働とは、本質が少し異なる。
作務は修行なのだ。
特に禅の世界では、ある種の肉体労働をすることを求められる。
観念的な理想に終始して、現実と遊離しないように、作務が定められている。
この絵馬市は根岸さんにとって作務なのだろう。
国指定の無形民俗文化財に指定されているのは「絵馬市」だ。
「絵馬」単体ではない。
この風景が、情緒が大切なんですよ、と指定されている。
その風景を守るために、その風景になりきるべく根岸さんは作務をしている。
子供のころから慣れ親しんだ、あの情景を、活気を知ってもらいたいとの一念で病と闘い、この場所に立っている。
一方でわたしはどうであろうか。
冒頭から書いているように、わたしは自身を宣伝したいという気持ち、つまり自分の利益を求めていることを否定できない。
絵馬市の風景になりきって溶け込むどころか、そこから更に飛び出して、自身を目立たせたいと思っているのではないか。
この一年、わたしもこの絵馬市の周知に頑張ってきたという自負がある。
根岸さんにもお礼を言われた。
それで得意になり、鼻の穴を膨らませ、まだまだこれからですよと、薄ら笑いを浮かべていたではないか。
根岸さんの説明を続ける姿を目の当たりにして、恥ずかしさが首筋を駆け上がる。
ほんの一年くらい一生懸命やったからって何なのだ。
目の前にはその灯をずっと守りづけてくれた人がいるではないか。
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この日、元JRA調教師の小桧山先生も取材に来てくれていた。
先生は引退後、日本全国の馬に関わるお祭りを取材し、各種媒体で発信を続けている。
先日別件で会う機会があり、この絵馬市について伝えていたのだ。
先生もこの東松山の絵馬市は全く知らなった、という。
そして、実際に見て驚き、こんな近くなのに(知らなかったのは)恥ずかしい限りだとも言ってくださった。
嬉しいを通り越して、馬の如く派手にいななきたい気分だ。
そして失礼ながら驚いたのだが、絵馬市に来てくれた馬関係者からの小桧山人気が凄まじい。
特に乗馬界隈から、こんなにも人望があるとは。
これは・・・便乗してわたし自身を目立たせなければ。
絵馬市の映像記録と称し、先生と2ショットを取りまくる。
これをYoutubeにアップして、わたしの馬界隈認知度に貢献してもらおう。

残念ながら、わたしに本当の意味での作務は、まだまだ難しいようだ。
(了)
文:国分 二朗
編集:椎葉 権成・近藤 将太
著作:Creem Pan
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