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強烈な後悔と自己嫌悪…「なんか全然らしくない。修行にでも行ってくれば」🐴👨🏻‍🦲🪷



 

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。

 

気がつけなかった病の影


昼頃に「先生が予定の時間に来ないし、電話も通じない。」と問い合わせがくる。

試しに電話をかけてみたが、すぐ留守番電話になってしまった。

少し気持ちがザワついたが、それ以上に「ちゃんとしてくれ」と腹立たしい方が強かった。


そして、その日の夕方。

先生の家族から連絡があった。

先生はすでに東京に戻っている。

そして入院している、と。

無事ではあるが、家族を含めて誰も、しばらくの間は面会すら許されないという事だった。


 


 

先生は朝、ホテルのロビーでジッとしていたという。

同じホテルに宿泊していた馬の関係者が、それをたまたま見かけた。

「どうしたんですか、先生?」

そう問いかけて、すぐに「自分と一緒」だと気がついたそうだ。


その人は鬱の既往があった。


緊急性を感じた彼は、そのまますぐに先生を東京へ連れ戻り、自分の主治医の病院へ連れて行った。

即入院、あらゆる人との面会謝絶。


細かい経緯を知ることができたのは翌日だった。

驚きで膝から力が抜けてしまうような感覚。

恐怖と不安と、無事で良かったという安心感が慌ただしく出入りする。

まともに思考も働かなかった。

少し経ってから、強烈な後悔と自己嫌悪に苛まれる。


先生は強い。

そう決めつけていた。

精神的な病から一番遠い場所にいる人だと、疑わなかった。


先生がそこまで抱えているとは。

そして、抱えている重い荷物の中には、わたしが確実に含まれている。

それも結構な重量で。


振り返ってみれば、兆候はいくらでもあった。

落ち着かない話し方だったり、くるくる変わる表情だったり。

それこそ独立の話がどんどん前倒しになっている時に、気がつくべきだったのだ。

先生の側にいる人間の一人と自覚し、得意げにしていたくせに、全く気が付かなかった。


なぜ。なぜ。なぜ。

いや、気がつこうとしていなかったのかもしれない。

だってわたしは、頭に来ていたではないか。

自分の行く末ばかりに頭を悩ませ、先生が病に苛まれていく様子を勝手だと憤慨していたではないか。


独立後の運営を考え、電卓を叩きながら、気がついたことがある。

結局のところ、わたしは守られていた。

手間をかけるという事は人手が必要だ。要は人件費の問題でもある。

良い環境を整えるのは飼葉や敷料、道具を含めて諸経費が跳ね上がる。

預託料にしても、馬の状態にしても、わたしが馬主さんから直接意見を言われることは無かった。

厳しいことで有名な馬主さんからも、直に叱られたことは無い。


先生はわたしにやりたいようにやらせてくれて、それでいて外圧は引き受けてくれていた。

「あんたがイイと思うんだったら、やってみれば」

こうやって、わたしの意見を受け入れる度に、抱える負担がミシリ、ミシリと重くなっていったはずだ。

一方でわたしは二ノ宮厩舎を支えているなんて思い上がっていた。


結果としてこれだ。

今までのように楽しく馬を続けていくことは最早できないし、続けていく資格すらないような気がした。


それでも時間に追われ、思考することを止め、ある種流されるように機械的に独立の準備を進める日々が続く。

そんなわたしを見続けていた某夫人が、あるとき言った。


「なんか全然らしくない。修行にでも行ってくれば」


スコン。

腹落ちした。

本当に音が出たんじゃないかと思うくらいにピタッと嵌まった。

ああそうだ。

今のわたしに必要なものが、たぶん全部そこにある。


これは感動的な話ではない。

人に責任を押し付けて調子に乗っていた人間が、それに気がつき更に責任を放棄する話だ。

だからまず手伝うと言ってくれたスタッフにだけ、自分の気持ちを正直に話した。


一緒に大海原へ打って出ようぜって誘ったわたしが、やっぱりオレやーめたって話だ。

罵倒されても仕方がない。

それでも驚きはしていたが、受け入れてくれた。

優しく話を聞いてくれた。

おかげさまで今でもたまに食事をする良い関係を築けているとは思う。


ここからいかに僧侶になっていくかは、もういい加減長い話になったので止めようと思う。

それは、また別の機会に。


「後悔はしたくない」


ところで、わたしの経歴が突拍子もない分、今まで何度か取材を受けている。

全て「なんで馬から僧侶?」と、いうところだ。

勿論ウソは答えていないが、先生の病気に関する部分は伏せておいた。

そのほうが良いと思ったからだ。

先生をそっとしておきたいという気持ちが強かった。


無事に出家して、先生と再会するようになってからも、不安定な感じは伝わってくる。

だから、常に怖さがあった。

(全く別件で)先生の娘さんから電話があった時にも、着信に「二ノ宮」の表示を見て心臓が、文字通り跳ね上がった。

それがただの事務的な連絡と知り、崩れ落ちるように安堵したものだ。


修行を終え、先生と頻回に合うようになってからも、会話は世間話に終始して、馬に関わる話題は避けた。

それが少しずつ馬の話をするようになり、やがて先生は乗馬も再開。

最近は母校の馬術部OB会でも役員を務めることになったという。

去年は一緒にモンゴルで草原を駆け回った。

上岡馬頭観音のマルシェで(ファンの前で)わたしと一緒にトークイベントして下さいと、軽口で尋ねることもできるようになった(にべもなく断られた)。


モンゴルで本気追いの先生とわたし(多分17秒/Fくらい)
モンゴルで本気追いの先生とわたし(多分17秒/Fくらい)

でもその後、一緒に競馬を見に行った時は、やはり疲れていく様子が尋常でなかったので、競馬界そのものは、まだしんどいのかなと思ったのも事実だ。


それが、だ。

なんと今年、某イベントで登壇するという。

まだ詳細は書けないが、マルシェのトークイベントどころの騒ぎではない。

一般の競馬ファンの前で話すという。


その最初の一報を、別の人から聞いたので、ちょっと嫌な予感もした。

先生は基本的にサービス精神旺盛な人だ。

また無理をし始めている、のではないかと思った。


だから先日、例によって先生のお宅へお邪魔したときも、そのイベントについてこちらから尋ねることはしなかった。

すると間もなく、驚いたことに自分から話し始めた。

しかも、嬉しそうに。


その様子にグッと感激しながら

「良く決断しましたね」

と聞くと、ちょっと考え込むしぐさをしてから先生は言った。

「うん、断ることはできるんだけど、後悔はしたくないって思ったんだ。」


もう号泣。

心の中でだけど。


だって今までだったら、間違いなく断っていた話だろう。

まだ寛解には至っていないという話だけど、それが迷って、そして後悔したくないって考えに至るまでになっているということだ(もちろん主治医には相談済み)。


(つづく)


 



文:国分 二朗

編集:椎葉 権成・近藤 将太

著作:Creem Pan


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