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突如近づいた独立話、浮つく気持ちと裏腹に…🐴👨🏻‍🦲🪷



 

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。

 

夢にまで見た「独立」


条件は十二分に整っていたと思う。

二ノ宮厩舎の外厩で場長を長年務めているという十分な実績。

トレセン界隈では、それなりに顔も知ってもらえていたし、馬を預けたいと言ってくれる他の調教師もいた。

信頼しているスタッフも、独立したら一緒にやりたいと言ってくれている。


ナカヤマフェスタと先生とわたし
ナカヤマフェスタと先生とわたし

 


 

「2年後を目標に独立しよう」

先生は言った。

「その1、2年後にはボクも勇退するよ」

とのことだった。

そうか、先生は勇退を決心したのか。

前々から聞いてはいたので早期勇退に驚きはなかったが、

自分の独立に関しては「正直(準備期間が)長い」と感じた。

1年でも十分。

既に土台はできている。

要は引き継ぐだけなのだ。


それでも気分は高揚していた。

帰宅して、家族に報告し「いよいよ社長になります!」なんてハシャいでみる。

案外と家族の反応はいまいちだった。

某夫人は特に神妙な顔つき。

「それは良いことなの?」

なんて聞いてきた。

同じテンションで喜んでくれないことに多少の不満はあったが、すでにわたしの頭の中は妄想で忙しすぎた。


あれもやりたい。これもやりたい。

誰にも負けないだけの知見と経験がある。

さあ一世を風靡しようではないか。

夕食中も妄想が暴走する。

突然ニヤけたり、「ブブブ」とくぐもる笑いを漏らしてしまう。

某婦人は「気持ち悪い」と一蹴してきた


2週間経ったくらいだろうか。

先生から「この間の(独立の)話だけどさ」と不意に言われた。

しばらく逡巡し、続いた言葉は

「1年後でも大丈夫?」

だった。

思わず「勿論です!」と答える。

1年後となると、ぼやけた妄想の未来にグッと色付が濃くなる。

それにしても、この短期間で先生にどのような心境の変化があったのだろうか。


スタッフやお世話になる取引業者も含め、しっかりと話をしておく必要も出てきた。

信頼しているスタッフに独立をする旨を伝えると

「待ってましたよ。いつかと思ってました。」

との返事。

嬉しすぎて「いっちょやったろうぜ!」と熱い握手も交わした。


飼料会社さんと話せば

「おーいよいよですね」と。

みんながすぐに察してくれている雰囲気が、応援されているようで嬉しかった。


まるで大海原に打って出るようなイメージ。

パイレーツオブカリビアンのテーマ曲がリフレインする。

アドレナリンが溢れて指先までジンジンするような、夢見心地の気分。


しかし、それはあっさりと終った。

電源をブチっと乱暴に切られたように、曲は止まる。

「半年後でもいけるか?」

先生からそう聞かれたのは、前回の話からほんの数日後だった。


青天の霹靂


とにかく驚いた。

「だめです」と言えるはずもない。

それからはとにかく慌ただしくなった。

美浦トレセンの厩舎の挨拶周り。

足りていないスタッフの手配。

賃借する厩舎の契約更新などなど。


それらに忙殺されるのはまだ良かったが、金銭的なシュミレーションは堪えた。

預託料の設定、人件費の設定、馬の餌代、諸経費はいくら掛かるのか。

これが全く楽しくない。


差し当っての運転資金はどうにかなるが、経営していくからには利益を出す必要がある。

どうすればいいのか、識者のアドバイスを聞いて電卓を叩く。

これがホントに全然楽しくない。


やればやるほど数字に囚われていく自分を感じる。

「あれもやりたい、これもやりたい」が、いつのまにか「あれもできない、これもできない」と考え始めている。

もう今までのように、楽しく仕事はできないのかな。

ふと、そんな思いがよぎった。


しかし感傷的になっている暇は全くなかった。

なぜならその頃には、先生が「もう一日でも早く独立してくれ」的なことを言い始めていたからだ。

わたしは腹を立てていたと思う。

もう先生はすっかりヤル気が無くなってしまったのだ。

最後にそんな勝手な話があるか、と。


一方で早期勇退するにあたって、先生もすぐにやらなければいけないことがあった。

その意思を、馬主や馬産地へ事前に伝える必要がある。

この世界では、仔馬が生まれたその年に、預託厩舎が決まることも当たり前だ。

少なくとも勇退の2年前には知らせておかないと、デビュー前の転厩というデメリットしかない事態が生じてしまう。


ある日の午後

「これから北海道へ行って、翌朝から牧場の挨拶回りをする。」

と先生から連絡があった。

勇退に関する挨拶は、さすがに電話で済ませる話では無い。

ちゃんと会って、今までのお礼も含めて挨拶をしたい、という話だった。


当時、月に2度は北海道へ馬を見に行っていた先生だ。

「はい分かりました。行ってらっしゃい」くらいにしか思わなかった。


そして翌日、先生と連絡が取れなくなった。


(つづく)


 



文:国分 二朗

編集:椎葉 権成・近藤 将太

著作:Creem Pan


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