top of page

ウマのお坊さんが徒然なるままに綴る、新連載がスタート!🐴👨🏻‍🦲🪷



 

かつて育成牧場の場長を務め、現在は曹洞宗妙安寺の僧侶。

「ウマのお坊さん」こと国分二朗が、徒然なるままに馬にまつわる日々を綴ります。

 

こんにちは。

ウマのお坊さんこと、じろーです。

このたび、このLoveuma.でブログを執筆させてもらう事となりました。

ちょうどAERUの太田さんの跡を継ぐような形になったのもナカヤマフェスタが繋いでくれた何かの縁なのかな、と思っています。

今回は最初という事で自己紹介的な内容となります。

よろしくお願いいたします。


「馬から僧侶」


ドリームファーム恒例の花見BBQ 多分、牧場時代で唯一の2ショット
ドリームファーム恒例の花見BBQ 多分、牧場時代で唯一の2ショット
 


 

いやはや人生とはわからないものだ。


今こうして、僧侶として馬に関わり、ここにブログを書かせてもらうという機会を得ている。

改めてスマホの写真で確認すると、ドリームファームが解散したのは2017年の5月。

ああ、まだ10年も経っていないのか、という印象だ。

それから僧侶を志し、どうにか曹洞宗のお寺に弟子入りして、翌年永平寺東京別院に修行へ向かった。

修行に一区切りがつき、曲がりなりにも僧侶といえる資格を得てからは、まだ5年も経っていない。


あの転換期は、実にアクロバティックに人生が展開していった。

いま僧侶の立場として、ブログを書いている自分が意外というか、面白くて仕方ない。

馬のキャリアを終える、つまりドリームファームを解散する直前、2017年3月頃のわたしに「おまえ僧侶になるんだってよ」と教えてあげたら、一笑に付すだろう。

「イヤそれでも本当なんだって」と食い下がれば、きっとわたしは激怒していただろう。


それぐらい自分と僧侶を結びつけられなかったし、すでに毛髪が撤退した頭を揶揄された、としか思えなかったに違いない。

そもそも当時のわたしは馬の世界に没頭していた。

他の世界など到底考えられなかった。

だっていよいよわたしは、ドリームファームの場長から社長となり、独立するつもりだったから。


ドリームファームというのは元JRA調教師であった二ノ宮敬宇先生の運営する専属の牧場、いわゆる外厩だ。

さらっと「調教師が運営する」、と書いたがこれは本当に特殊なことで、ずっと昔から現在に至るまで、取り組んだ人はほぼいない。

多分、片手で余るくらいだろう。


何故なら単純に、デメリットがデカすぎるから。

まず、ただでさえ多忙なのに牧場経営という荷物を背負い込むことになる。

そして同時に、馬に対する責任も倍増する。

そんなことをしなくても周りに多くの育成牧場はあるし、大手に任せればきっちり仕上げて、レースの10日前に馬が戻ってくる。

競馬後にすぐに放牧に出せば、その空いた馬房には10日後レースを使える仕上がった別の馬が帰ってくる。

厩舎の回転率や出走回数が爆上がりするし、牧場で調整している馬に対して全責任を負う必要もない。

多少大げさに書いてはいるが、今の日本のシステムではそれが一番効率が良い。


ではなぜ二ノ宮先生は自分で専用の外厩を持ったのか。

それはもう圧倒的に「調教師として馬を自分の管理下に置きたい」という熱意があったからだ。

先に書いたような手法を先生は「何で調教師になったのか分からないじゃん、そんなの」という。

欧米では調教師が100頭を超えるような頭数を、自厩舎で手元に置いて管理しているが、先生にとって調教師とはかくありなんなのだろう。


そんな熱意溢れる先生に、30歳手前の若造であった(まだ髪の毛もあった)わたしが「一緒に夢を食っていこうよ」とドリームファームに誘ってもらえたのだ。

いま思い出してもうれしくて、煩悩が4尺玉の花火のように炸裂する。

いま僧侶だけど。


わたしの自己紹介のつもりで書いていますが、僧侶である前に狂信的な二ノ宮先生原理主義者でもありますので、先生の話となると長くなりますがご容赦ください。


二ノ宮先生との修行の日々


それからの日々は破裂しそうなほどパンパンに満ち満ちた、一言でいえば充実した日々となる。

凄く叱られたし、怒られた。

なじられたし、どやされた。

ダメ出しされたし、あきれられた。

いま思い出しても怖くて、陰嚢が深海で圧壊するかのように委縮する。

半分冗談だけど。


けれども先生はわたしに対して諦めなかった。

どんな失敗をしても「もういい」とはならなかった。

(何度も口では「もういい」と言われているけど)

おまえが責任者なんだぞ、というスタンスは一貫していた。

だから根気よく教えてくれた。


「先生はわたしを見捨てない」という確信が、地に足を付け、しっかりと踏ん張り続けることの原動力となっていたことは間違いない。


それから年を経るごとに、任されることも多くなってきたし、意見も求められるようになった。

とにかく自分にとって有意義だったことのひとつは、個々の馬のサイクルをずっと観察できるようになったこと。

レースに向け仕上げて、レースを使って、そのあとのケアや問題の発生、その対応を全て把握できた。

勿論、個体によって傾向は異なる。

二ノ宮厩舎からドリームファームをぐるぐると回るローテーションで、その状況をつぶさに観察できたことで、状況による判断の精度は高くなっていったという自負がある。


個々の馬をこれだけじっくり観察できる機会が与えられている管理者は、そう多くはいないはずだ。


そして、あともう一つ。


先生と忖度なく意見を言い合えたこと。

普通の育成牧場と調教師の関係であれば、どうしても営業的な要素が入ってくるし、ごまかす部分もでてきてしまう。


実際に、平気で噓を報告するやり手の牧場経営者の姿も見てきた。

すぐそばでそんな様子を見る機会もあったので、辟易したし、つくづく自分は恵まれていると思っていた。

できないことはできないと伝えられたし、ごまかす必要もなかった。

(その分誰よりもこっぴどく叱られていたという部分はあるが)


一方で先生は、「調教師会の会長」などという厄介ごとを引き受けてしまったので、年々忙しさは増していった。

当然、わたしの負担度合いも増してきて、任される部分が増えていく。

ただそれは、とても心地の良いものでもあった。

自分が二ノ宮厩舎を支えている、と思えたからだ。

(それはとんでもない間違えであったと気がつくのは後の話だが。)


そしていつか、わたし自身で牧場を開業するというプランは最初からあった。

先生も定年退職前には勇退するという意向だったし、その前にわたしがドリームファームを独立させるよう言われていた。

ただ自分から「独立したい」とはなかなか言い出し難い部分もある。

40歳を過ぎてからは、「そろそろどうだ」と言われるのを待っていたと思う。


そしてある日、ついにその話となる。

夕方、二人でのミーティングの終わり際「独立する気はあるか?」と聞かれた。

「もちろんです。」

ついにその時が来た。

泡のように高揚感がフツフツと湧いて、口角を押し上げようとする。

にやけないように自分を抑えるのは、けっこう気分が良かった。


(つづく)


 



文:国分 二朗

編集:椎葉 権成・近藤 将太

著作:Creem Pan


1 Comment


続編楽しみにしております。by 空飛ぶおにいちゃん

Like
bottom of page