【追悼・タイキシャトル】もっと喧嘩をしたかった…小憎らしくて愛しいシャトじいじ
2022年8月17日未明、ノーザンレイクで繋養していたタイキシャトル(認定NPO法人引退馬協会 所有)が永眠しました。
その追悼企画として、先週に続いて、在りし日の思い出を紹介いたします。
スタッフ一同、心よりご冥福をお祈りいたします。
Loveuma.運営事務局
シャトルにはオレ様のイメージがあったので、最初SNSにはシャトル様と記していた。けれどもイタズラ好きのシャトルに接していくうちに段々小憎らしくなってきて、川越とも「シャトルって、こにくらじいさんだよね」という会話をよくした。それからはシャトル様とはなかなか呼び難く、ならばシャトじいじにしようと思い立ち、Twitter、Facebook、Instagramにおいて、一斉に呼び名をシャトじいじに変更した。
以来、メイショウドトウの呼び名のドットさんとともに、たくさんの方に親しんでもらい、リプ欄や引用リツイートなどにシャトじいじ、ドットさんと書き込まれているのを見ると嬉しくなった。
「シャトじいじ」と記載の供花もあった
残念だったのは、じいじが駈けている姿を一度も動画に収められなかったことだ。じいじ的に集牧が遅い!と感じた時に、私が放牧地に近づくと暴れ気味に出入口付近を走りながら私を脅すので、このハイテンションのまま厩舎まで引いて行く自信がなく、川越に替わってもらったこともあった。だが最近は川越の出番はほぼなく、出入口からワーッと勢い良く飛び出したり、少しバタバタしても引いていけるようになった。(抑制効果のあるハートバミを装着することもあるが)
かろうじて撮影できた速歩
ハートばみ
ノーザンレイクに来てから何度か獣医師のお世話にもなった。
今年の1月2日、気温がかなり下がった日に疝痛を起こした。明けて28歳(満年齢では27歳)という年齢から何があってもおかしくないし、手術もできないと獣医は話した。この時は幸い重症ではなく、午後には回復していた。
気温が下がった日に疝痛を起こしたことから、寝藁をこれまで以上に厚く敷いたり、馬着で調整するなどの対策をとり、天気予報で予想最低気温が低いと特に警戒した。
冷えないよう新しい馬着を購入
今年の初夏から夏は気候が不安定だった。それが原因だったのか熱発をした。ただ回復した後は食欲旺盛で、いつも飼い葉はペロリとたいらげていた。
日差しが強いのが苦手で早朝に放牧して早めに馬房に戻したが、暑い日は扇風機の前にいることが多かった。
それでも今年は昨年と比べると冬毛がスッキリと抜け、毛ヅヤも格段に良く、馬体にも張りがあった。だからまだまだ一緒にいられると、私は信じていた。
上が昨年8月、下が今年8月 今年は毛ヅヤが良かった
別れは突然だった。
前日の朝も顔を伸ばして鼻ドンしてくれたし、夕飼いもペロっと食べ、夜飼いも完食した。小さく切った人参を差し出すと待ってましたとばかりにパクッと素早く口に入れた。ドトウと交互にいくつかあげた。人参がなくなって帰ろうと思ったが、物足りなさそうにしているので、黒砂糖を手に取った。高齢馬の糖分の取り過ぎに注意していたので、夜のおやつタイムでは黒砂糖は控えていたのだが、この日は久し振りに黒砂糖をじいじの口元に持っていった。すると人参以上の速さで口に入れ「美味しい〜」という声が聞こえてきそうな表情で味わっていた。
これがじいじと私の最後のやり取りとなった。
旅立つ前日の朝 最後の鼻ドン
翌日。馬房で倒れているじいじを発見したのは川越だった。
川越から知らされた私は思わず「どうして!」と叫んでいた。馬房に駆け込むと倒れているじいじに抱きついた。記憶が曖昧だが「もっと仲良くしたかったのに!何もできなくてごめんね」と言いながらじいじに頬ずりをした。
この夏を振り返ると、じいじが優勝したジャックルマロワ賞に日本からバスラットレオンが出走したことで、再び「タイキシャトル」がクローズアップされたり、テレビや映像、新聞などの取材が相次いだ。
私が撮影した動画以外で、最後の映像になったのは8月10日取材のあった競馬場のターフビジョン等で放映用のものだった。(JRA公式のタイキシャトルの追悼VTRにも使われた)
じいじはそれらすべてを元気にこなし、旅立っていった。そして映像には、28歳とは思えない栗毛の美しいタイキシャトルが残った。
ジャックルマロワ賞を見届けてタイキシャトルは亡くなったとSNSに投稿している人がいた。それに対しジャックルマロワ賞とシャトルの死は関係ないとい意見もあったが、この夏の一連の出来事を間近で見て体験した私にとっては、じいじはこの時を選んだ、あるいは神様がこの時を選んだのではないかと思えてならない。
競走馬時代の栄光とこの世を去る1週間前の輝き タイキシャトルらしい素敵なVTR (映像:Memories of タイキシャトル | JRA公式)
その一方で、もっと何かしてあげられたのではないかという気持ちも拭い切れない。何ができたのかはわからないが、馬の死を前にすると自分がとてつもなく無力に感じる。だからこそ馬をわかった気にならず、常に試行錯誤で目の前の1頭に向き合っていかなければ…。そんな思いに捕らわれていると「きっとシャトルは稲葉さんに会いに行ったんだな」と川越が言った。稲葉さんというのは競走馬時代の担当厩務員で、病で既にこの世を去っている。ヤンチャなシャトルとは名コンビだったと川越は振り返る。名伯楽や名ジョッキー、牧場関係者がタイキシャトルを名馬に育てたのはもちろんだが、稲葉さんの力もかなり大きかったはずだ。
「シャトルは稲葉さんのために走ったのかもしれないな」
川越はそうつぶやいた。名コンビだったシャトルと稲葉さんが天国で再会している様子を想像して、私は少し心が救われた気がした。
じいじは、天に召された8月17日のうちに荼毘に付された。馬房に供え切れないほどのたくさんの花が届いた。四十九日まで祭壇を設置するが、それらが片付けられ、ガランとした馬房を目の前にした時、じいじが天国へと旅立ったことを実感するのかもしれない。
ファン、関係者から届いたたくさんの花が馬房を埋め尽くした
競走馬時代、種牡馬時代ともに私にとっては特別な存在ではなかったタイキシャトル。だが一緒に過ごした1年と2か月の間で、私の中でタイキシャトルからシャトじいじへと変化し、小憎らしくて愛しい特別な存在になっていた。
じいじ、何もできなくてごめんね。でも本当にありがとう。たまには夢に出てきてください。待っています。
毎朝、喧嘩しながら無口をかけた もっと喧嘩をしたかった
(おわり)
※来週からは通常通りノーザンレイクでの 日々を綴ってまいります
Loveuma.運営事務局
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協力:ノーザンレイク・認定NPO法人 引退馬協会
文:佐々木 祥恵
編集:平林 健一
著作:Creem Pan
世話をした家族や動物を看取るときに決まって思うのは、「よく面倒を見た」「人事を尽くした」とねぎらいの言葉をかけられても、心のどこかに後悔は必ず残るということ。
何かもっとできることがあったんじゃないか。あのとき、こうしてあげればよかったんじゃないか。できなくてごめんね。気がつかなくてごめんね。。。。そんな思いが頭の中でぐるぐる回っているうちに、いつしか葬儀が終わり、納骨がすみ、ガランと広くなったような気がする家で灯りもつけずに日暮れを迎えていたりします。
佐々木さんのシャトルロスの寂しさは、じいじのことを大好きだった100万人(以上)のファンが一緒に背負います。だから明日もいつものように、お馬たちを放牧に出してください。メトさんとチビちゃんに、ごはんとくつろぎの場所を整えてあげてください。(川越さんの分もお忘れなく)
ふるさとは、たくさんの思い出を重ねて美しい場所になります。
これからもノーザンレイクが温かく楽しく美しい場所でありますように。