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人馬一体の裏にあるのは、過酷とも思える母馬との別れ|新冠橋本牧場・橋本英之 2/2



試練の乗り越え方

写真:馬房で共に過ごす親子(本人提供)


人との関係性が構築された仔馬は、自身にとって最大の試練とも言える離乳を迎える。その一大イベントに対し、新冠橋本牧場では、どのような方法で離乳を行っているのだろうか──。

「親子が複数組いる放牧地から、少しずつ親だけを抜いて離れた放牧地に連れて行きます。例えば10頭いる放牧地であれば、最初に2頭くらい親を抜いて、他は親子がいる状態といったように、段階的に進めていきます」

母馬との突然の別れを余儀なくされた仔馬。

当然、どの馬も寂しがり、鳴いて走り回っているそうだ。

この状態に慣れるには、どの程度時間を要するものなのだろうか。

「馬によっては、1〜2日目くらいで慣れちゃう馬もいます。長い馬だと1週間くらいしても、ずっと騒いでいますね」


写真:離乳の様子〈左2頭:離乳した当歳馬、右4頭:離乳前の親子〉(本人提供)


また、放牧地と馬房でも寂しがり方には差が出てくるようだ。

「放牧地よりも、馬房に一人でいる時が一番鳴いています。離乳するくらいの時期だと、すでに親から離れて一人で遊んだり、他の仔馬と遊んだりしている時期ですので、一人に慣れていたり、仲間といることで気が紛れている部分があります。ただ馬房の中だと、今までずっと母馬と一緒にいた場所なので、そこで一人になることに慣れていないせいか、一番寂しがっていますね」

こればかりは馬自身に慣れてもらうしかない。競走馬として生まれた彼らにとっては、乗り越えなければならない試練なのだ。


写真:母親を探す離乳直後の当歳馬(本人提供)


そして、このタイミングで、初期育成の重要性が見えてくるという。

「これまでは親を頼っていたのが、離乳して一人になってしまった。そこで、次は人間を頼ってもらうためにも、離乳するまでに、しっかりと人間との関係性を築いていければ、一人になった後もスムーズに進めることが出来ます」

親代わりとまではいかなくとも、独り立ちする仔馬を支える立場になることで、中期育成へとスムーズにステップを踏むことが出来るという訳だ。


イヤリングの一日


写真:放牧地を駆けまわる1歳馬(本人提供)


離乳を終えて年を越すと、当歳の仔馬たちは1歳馬となり、業界では彼ら1歳馬のことをイヤリングと呼ぶ。管理頭数の多い大手の牧場になると『イヤリング部門』と呼ばれる専門の牧場またはチームが設けられている場合もあるが、これは離乳当歳が調教へと進むまでの期間を担当する部門であり、『中期育成』は、この時期に行われるトレーニング全般を指している。

中期育成は、先述のように専用の牧場が設けられる場合もあれば、新冠橋本牧場のように生産牧場が兼任する場合もあるようだが、今回は新冠橋本牧場での取り組みについて話を伺った。新冠橋本牧場では、中期育成にどのようなことを行っているのだろうか──。

「イヤリングの期間に一番大切なのは、馬の身体を作ってあげる事です。うちでは夜間放牧を行っていて、夏頃だと一日に厩舎にいる時間が4時間とか。基本的には放牧に出して、しっかり運動させるというのがメインになります」


写真:イヤリング1日のスケジュール(CreemPanが作成)


放牧による基礎体力の養成は、後の競走能力にも影響する重要なトレーニングだ。


写真:放牧中の1歳馬(本人提供)


また、中期育成では体づくり以外にも行っていることがある。

「厩舎から出したり入れたりする際、馬があっち行ったり、こっち行ったりせずに、しっかりと人の横について引っ張れるよう、ちゃんとした位置で歩かせるトレーニングも行います」

日々の手入れや曳き運動を通して、人との信頼関係築いていく。

当歳の頃から取り組んでいることではあるが、中期育成でも継続して行っていくとのことだ。


写真:曳き運動を行う1歳馬(本人提供)



人との関係性が馬生を左右する


イヤリング期間は、朝の始業と共に厩舎で馬を入れる準備を整え、夜間放牧に出していた馬たちを集牧する。そこから馬体のチェック、飼付け、手入れを行って、また放牧に出す。彼らは一日のほとんどを放牧地で過ごす生活を送ることになる。

だからこそ、当歳の間に"基礎"を作っておくことが重要なのだという。

「まだ人と過ごす時間が長い当歳の間に、しっかりと人との関係性を作っておくことが大切です。この時期に基礎を固めておけば1歳になっても扱うのが本当に楽ですし、お互いに危険性も少なくなります」


写真:ブラッシング中の当歳馬(本人提供)


仔馬の時期に基礎を作っておくことで、その後の扱いやすさは格段に変わってくる。

そして、この"扱いやすさ"は、競走馬としての今後の馬生にも大きな影響を与える。

「育成場に移った後、『体を触られることがイヤだ』という状態だと、鞍付けや騎乗馴致の前に、まずはそこをクリアするところから始めなければならないんです。ですから、育成場へ移ったらすぐ馴致に移ることができるように、それまでの事をやっておくのが、私たちの仕事になります」

馬と人との関係性が未熟なままでは、馴致を始める時期が遅れてしまう。

中央競馬では、2歳6月から3歳8月末までの間に勝ち上がらなければ原則的に引退となってしまうため、この時期に同世代から遅れを取ることは、競走馬としての現役生活を致命的に左右すると言っても過言ではない。故に初期育成で人との関係性を築いておくことが、とても重要なのだ。


変わり始めた"引退馬への意識"


これまで、『初期・中期育成』における人と馬の関係性について話を伺ってきた。

"人と共に暮らす事"を幼少期から学ぶことは、その後の馬生にも多大な影響を与える。それは先述のように、競走馬としてのフェーズでは勿論の事、競走を引退した後にも言えることだ。

競走馬として生まれたサラブレッドは、「競馬で勝つ」ことを目標とし、生まれたその瞬間から精神面・肉体面ともにアスリートとして鍛え上げられる。

長い歴史の中で競走に特化するべく品種改良を重ねられてきたサラブレット。その気性は他の品種と比べて繊細かつ多感であり、慣れないモノや音に敏感に反応することも多い。競馬を知る人なら、誰もが一度は「サラブレッドは危険」と耳にしたことがあるだろう。それだけ気が立っていて、力のある動物なのだ。

──ところが、ひとたび引退したとなれば、馬に求められる要素は一変する。

農林水産省生産局畜産部 競馬監督課「馬産地をめぐる情勢」(令和4年6月)によると、引退馬のセカンドキャリアとして、中央競馬出身馬では全体の16%、地方競馬出身馬では全体の34%を占めている乗馬だが、彼らの多くは移籍後、練習馬として一般のお客さんを乗せる機会が増えることとなる。

その際に求められるのは、これまで武器として磨きを掛けられた"瞬発力"や"勝気"などとは真逆の要素だ。これは乗馬だけに限らず、競技馬、誘導馬、騎馬隊、セラピーホースなど、どこへ向かっても同じである。引退馬は、これまでよりも人と近い距離で生活を共にするという点において、"扱いやすい馬"が重宝される傾向にある。


写真:農林水産省生産局畜産部 競馬監督課「馬産地をめぐる情勢」(p.4)(令和4年6月)(CreemPanが制作)


この"扱いやすさ"の基礎を築く初期育成ステージを担っている橋本さんに、引退馬問題についての考えを伺ってみた。


写真:新冠橋本牧場代表 橋本英之さん(本人提供)


「なかなか綺麗ごとだけでは話せない部分もあります。ただ、自分の牧場にいる間は精一杯手を掛けて、愛情をもって育ててあげる。しっかり競馬で活躍できるように育てていくことに尽きます」

心身共に強い競走馬をつくり、息長く活躍してもらうことが、馬生を豊かにする一つの正解であることは確かだ。それぞれの立場から、それぞれの出来ることをやっていくことで、馬と人のより良い未来に近づくことが出来る。

橋本さんも生産者として業界に携わる中で、変わり始めている"意識"を感じているという。

「最近だとサラブレッドオークションなんかも活発になってきて、中央で勝てなかった馬でも別のオーナーさんの元で競走馬を続けられることが増えました。オーナーさん自身も、所有馬の引退後について考えていらっしゃる方が結構増えてきていて、全体的に引退馬に対する考え方が変わってきている感じはあります」

実は新冠橋本牧場でも、生産馬のメイショウトウコンが功労馬として暮らしている。

同馬は2007年の東海S(G2)など重賞5勝を挙げ、引退後は近くの乗馬クラブで長年乗馬として活躍。年齢も重ねてきたことで、人を乗せる仕事からはリタイアし、今に至る。


写真:牧場で暮らすメイショウトウコン(本人提供)


「重賞も5つ勝って、G1のジャパンカップダートでもカネヒキリに2着した馬で。牧場にとっても、まさに功労馬ですね。近くの乗馬クラブにいたので、よく見に行く機会もあって。そのクラブの方からお話をいただいて、引き取ったという経緯でした」

メイショウトウコンは、今も新冠橋本牧場のパドックで"のんびり"と余生を送っている。

牧場に貢献してくれた馬に安息の養老余生を送らせてあげることも、立派な引退馬支援の一つである。

乗馬として長く活躍できたことも、今回記事で紹介した「幼少期から始まる、馬と人の涙ぐましい努力」の結晶だと言えるのだろう。


 
 

 

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取材協力:

橋本 英之

(有)新冠橋本牧場

取材・文:片川 晴喜

デザイン:椎葉 権成

協力:緒方 きしん

監修:平林 健一

著作:Creem Pan


 


監修者プロフィール:平林健一
(Loveuma.運営責任者 / 株式会社Creem Pan 代表取締役)

1987年、青森県生まれ、千葉県育ち、渋谷区在住。幼少期から大の競馬好きとして育った。自主制作映像がきっかけで映像の道に進み、多摩美術大学に進学。卒業後は株式会社 Enjin に映像ディレクターとして就職し、テレビ番組などを多く手掛ける。2017年に社内サークルとしてCreem Panを発足。その活動の一環として、映画「今日もどこかで馬は生まれる」 を企画・監督し、2020年に同作が門真国際映画祭2020で優秀賞と大阪府知事賞を受賞した。2021年に Creem Pan を法人化し、Loveuma. の開発・運営をスタートする。JRA-VANやnetkeiba、テレビ東京の競馬特別番組、馬主協会のPR広告など、 多様な競馬関連のコンテンツ制作を生業にしつつメディア制作を通じた引退馬支援をライフワークにしている。


 

 

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2 komentarze


HisMajesty Graustark
HisMajesty Graustark
30 sie 2023

>「サラブレッドは危険」

>それだけ気が立っていて、力のある動物なのだ。


本来の気質が攻撃的でない個体であれば、現役時代はカリカリしていても引退後に飼付けの内容を変えることで穏やかになる場合があります。

鈴木調教師の里子のポルックスくんなども、そうじゃなかったかな?


飼料会社に、温和な馬を作る薬膳メニューみたいなものを開発してもらいたいですね。🌱🥕🍵

Polub

HisMajesty Graustark
HisMajesty Graustark
30 sie 2023

>母親との突然の別れを余儀なくされた仔馬


突然の別れ自体は野生馬の社会にもあることなので、人間が自然界には起こり得ない残酷な状況を発明して仔馬に無理強いしている、というわけではないですよね。

あとは、母親ロスを早く克服してもらうためにどんな手助けができるか?それを工夫するだけだと思います。


ここでメジロドーベルや、マンダララ(NPO法人引退馬協会所有のフォスターホース)を思い出す。離乳した仔馬たちを束ねる「リードホース」という重要な役割を担ってきました。

近年はフェノーメノ(14才)も保父さんとしてたくましく活躍中だとか。💪🏿🐴

人間がいきなり仔馬に向かって「これからはオレだけを見ろ! オレだけを頼りにしろ!」と言ってもドン引きされるだけかもしれないので、まずは同族の先輩を親代わりにすることから、段階的に先輩のそのまた上位の「リードヒューマン」に対する依存度・信頼度を高めていくというのが自然だと思います。


>馬房に一人でいる時が一番鳴いています。


お馬の孤独は異種動物の導入によって癒される場合がありますね。

厩舎環境に慣れている猫、ヤギ、羊、コールダック、おとなしい犬などが近くで遊んでいれば、寂しさがいくらか紛れるようです。

「ひとつぼっち」になった仔馬の馬房の前で優しく語りかけながら座ること5時間。時には袖の下(おやつ)も使いながら毎日座り込みを続けてようやく群れの仲間(のハシクレ)と認めてもらった、という忍耐強い事例もあります。(個人の体験です😌)


馬は人の声を聞き分けて記憶してくれますから、グルーミングの時など普段は穏やかに話しかけてそのトーンを身体的な快適さと関連付けて覚えてもらい、叱るときは単音節の言葉を短く強いトーンで発して警告動作と組み合わせる。というふうに、意識して声を使い分けるといいですね。

新冠橋本牧場のような育成施設ではすでに何十年も実行しておられると思います。☺️❤️🐴

Polub
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