革命的アイデアで"F1マシン"を"乗用車"に!?|宮田朋典の「馬をつくり直す極意」2/4
引退馬に対してリトレーニングを行い、乗用馬やセラピーホースとして、再び社会へと送り出す活動をしているNPO法人サラブリトレーニング・ジャパン。前回に引き続き、リトレーニングの世界においてトップランナーとして知られる、サラブリトレーニング・ジャパンのリトレーニングマネージャー宮田朋典さんにお話を伺っていく。
──そもそも、リトレーニングとは一体、どのような取り組みをしているのだろうか?
リトレーニングには、大きく分けて『グラウンドワーク』『騎乗トレーニング』というふたつのフェーズがあるという。その1ステップ目である『グラウンドワーク』を紹介するには、前提としてサラブレッドについて触れる必要がある。
競走馬は"F1マシン"のような存在
現役競走馬のサラブレッド(株式会社 Creem Pan)
「サラブレッドとは、瞬発力と闘争心を引き出すように生産・育成されている品種です。肉体面だけでなく内面も、競うことを目的とした育成の影響を大きく受けます。例えば社会性です。生後約6カ月で離乳した後、これまで集団生活だったものが、単独馬房に入れられて個別管理へと移っていきます。そのため、本来は母馬や群れの先輩から学ぶような、いわゆる社会性や順列性というものを、馬自身が学んでないんです。競馬場や調教施設ではプロが騎乗し、その瞬発力・闘争心を勝負の場で爆発させるようにコントロールしていくんですが、一方で、セカンドキャリア以降に必要となるような、他馬や人と共生するためのコミュニケーション能力は、あまり育っていないのが現状です」
そもそも、競馬の基本である馬が背中に人を乗せるという行為も、自然なものとは言い難い。宮田さんは「馬が上に乗られるという行為は、種付け以外にないんですよ」と語る。種付けの際は牡馬と牝馬が鼻で"挨拶"をして、お互いにグルーミングをした上で、合意のもと──つまり好意を持った者同士が乗る・乗られる、という行為に及ぶ。一部の例外として、仔馬が母馬の背中に乗っかることがあるが、これは母馬に身体を押し付けて、自分の立ち位置とお母さんの距離感を学ぶというもの。自然界で生きていく中で重要な、適切な距離感というものを学習していく。しかし、競うことを目的とした馬づくりの中では、馬同士が仲良くしたり、甘えん坊になってしまうことは、闘争心を求められる競馬において障壁となる。
サラブレッドの親子(提供元:PhotoAC)
宮田さんは「あえて言うならば、単独管理をして、馬同士のコミュニケーションが遮断されている環境を作り出している」と説明する。
「競走馬が騎手を背に乗せ言うことを聞くというのは、つまり、競走本能や闘争本能逃避に趣を置く中に、騎手が導きながら合意をとるような信頼関係の作り方で、競走馬の育成・調教という行為ができるということです。それは、早いうちからの個別管理によって、本来持つはずの資質や能力が管理されているということ。競走馬、いわばF1マシンの様な存在が、騎手といったプロに目的を共有しているような状態です。そんな引退馬に対して、素人の人たちとの関わりにおいて『人間は安心できる、信頼できる、頼れる存在なのだ』と再び教えてあげなければなりません」
馬を内面からつくり変えていくことは、リトレーニングの持つ大きな意味である。
そしてこれには、馬と人、両方への教育が必要になってくる。リトレーニングされた馬を引き取った人、そしてその馬に関わっていく人にも、馬から頼られる存在になってもらう必要があるからだ。
「競走馬であった馬が、乗用馬やセラピー馬として活躍するにするには、一般の方が扱えるようになる必要があります。まずは、今まで教わってこなかった"集団行動に必要なこと"を、母馬に変わって教え、群れ社会に戻すためのキッカケを作ってあげるんです。それが、僕のリトレーニングの定義です。そのためにするべきなのが、リトレーニングの第1フェーズとも言える、グラウンドワークです」
自分で考えられる脳を作る
リトレサラブレッドと宮田さん(本人提供)
「まずは馬に名前を教えることから始めます。競走馬って自分の名前を知らないことがほとんどなんですよ。だから名前を教えて、個体認知をさせます。信頼関係の構築や、ダメなことを教えていくにしても、馬が人を認知しなければなりません。もちろん、同時に人も馬を認知する必要があります」
こうした人と馬の信頼関係を構築するトレーニングを、グラウンドワークと呼ぶ。
グラウンド=地上といった言葉の通り、馬に乗らない状態で、地上において馬と接すること全般を指している。
宮田さんは、グラウンドワークによる多様な馬事文化の普及を目的とした団体である『一般社団法人ジャパンホースグラウンドワーク協会』の理事も務めている。グラウンドワークをすることは、人と馬の双方への教育に繋がる。
そのグラウンドワークの基礎として、個体認知がある。
人と馬の本質的なコミュニケーションにおいて、双方の個体認知は不可欠なのである。
グラウンドワーク中の引退馬と宮田さん(本人提供)
「名前を覚えたら、次に名前と結びつく"NO"と"YES"を教えて、お互いの関係性や距離感を構築していきます。例えば、そこまでの工程を修了した複数の馬が、前搔きをしているとします。そこで僕が"NO!!"と叫んでも、言っても、どの馬も前搔きをやめません。ですが『○○(馬の名前)、NO!!』と言うと、その馬はピタッと前搔きをやめます。ここで大切なのは、叩いたらやめるとか、怒ったらやめるとか、そういったことでは馬が本質的に教育されることはないということです。個体と個体で、お互いが出している"YES"と"NO"を認識し、そこからどうするのかを、馬自身に考えて導き出してもらう必要があります。これはどのトレーニングにも共通することで、負荷を与えた時に、いかに自分で考えられるように脳をつくっていくのか──ここから、僕のリトレーニングが始まります」
リトレーニングのスタートは、内面から──。
一部のファンが想像するような、現役時代の怪我やダメージが癒えて、障害が飛べるようになり、馬場馬術で美しい動きができるようになる…というようなリトレーニング済みの状態は、こうした内面のトレーニングを済ませた、さらに先にあるのである。
個体認知に必要な6ヶ月間
しかし内面のトレーニングはいつまでも時間をかけてやれるものではない。
予算などを含めた様々な状況を考慮しながら、現状に即したスケジュールを考え、実行していく必要がある。
「一般的に、グラウンドワークに必要な期間はおおよそ6ヶ月と言われています。これにはちゃんと医学的、脳科学的な根拠があります。サラブレッドは"反射"が強いタイプの動物なので、頭で考える前にアクションを起こす傾向があるんです。リトレーニングでは、こちらから出した指示を受け取り、頭を使って悩み考えぬいて、答えを導き出してくれるよう、馬に教えていかなければなりません。そのために、今まで脊髄で折り返していた情報を、皮膚から脳へと伝達してもらうために、皮膚から"YES"と"NO"をじっくりと練り込んで覚えさせていく必要があります。この過程で、情報の通り道になるのが筋肉です。医学的には、筋肉が入れ替わるのには6ヶ月かかると言われています。なので、馬の反射的な部分を作り変える──つまり個体認知をさせるには、大体6ヶ月必要だと言う理屈になります」
文部科学省発行『健康な生活を送るために(高校生用)』(令和2年度版)でも、「体の組織が生まれ変わる周期は、(中略)筋肉は半分が入れ替わるのに平均180日程度かかると言われています。」と記載されている。人と馬では多少の違いがあるかもしれないが、同じ哺乳類として大きな差異はないかもしれない。反射的な行動をおさえる訓練と、筋肉が入れ替わる期間とを重ねて考えれば、6ヶ月という標準的な期間は適切なもののように感じられる。
「……ですから、理想的なことを言えば、本当は6ヶ月くらいかけて内面のトレーニングをしていく方が、定着率が高いですし、プレッシャーのかかる場面でも学んだことを転用してくれるんです。ただ私たちの団体は、財政状況などを考えると、そうした工程を3ヶ月ほどでクリアさせないといけません」
サラブリトレーニングジャパンは非営利法人であり、リトレーニングに掛かる必要経費は、個人や企業からの支援、そして行政から受け取るふるさと納税で賄っている。そうした資金面を考慮すると、6ヶ月もの期間を確保することは難しいという。学術的な根拠がある一般論に従っている時間の余裕はないのだ。
既成概念を崩したアイデア
「ただ、ちょっと視点を変えて考えたことで、今は2ヶ月で、決して十分とは言えないけれども、内面のリトレーニングを完遂できるようになりました。ある日『誰が1日に1回のトレーニングって決めたんだ?』と思ったんです。本来であれば1日1回、30分かけてトレーニングしていた内容を、1回あたり10分にするというのはどうか、と考えました。勉強でもなんでもそうですけど、長い時間やればいいというものではないですよね。その馬のタイプを見極め、学びが一番深いポイントを探り、良いタイミングで切り上げる──そんな内容が濃い10分のトレーニングを、1日3回に分けてやってみたんです」
発想の転換は、時に大きなイノベーションを生む。
宮田さんの狙いは、見事に的中した。
リトレーニングに勤しむ宮田さん(本人提供)
「狙いがピタリと的中して、今では2ヶ月で僕が許容できる範囲の"YES"、"NO"というものができるようになりました。一般の方でも、ゆっくり手を挙げて"NO"と言えば、一歩下がって譲ってくれますし、"YES"と言えば、止まって相手を受け入れる姿勢を取ります。どんな状況下でも、待てと言ったらずっと待ってくれる犬のような、それくらいのレベルには持って行くことが出来ることがわかったんです」
ここをクリアできるかどうかが、内面でのトレーニングをある程度修了した基準となる。そして次の騎乗トレーニングへと進んでいくのだ。
(つづく)
取材協力:
宮田朋典
認定NPO法人 サラブリトレーニングジャパン
取材・文・制作:片川 晴喜
デザイン:椎葉 権成
協力:緒方 きしん
監修:平林 健一
著作:Creem Pan
監修者プロフィール:平林健一
(Loveuma.運営責任者 / 株式会社Creem Pan 代表取締役)
1987年、青森県生まれ、千葉県育ち、渋谷区在住。幼少期から大の競馬好きとして育った。自主制作映像がきっかけで映像の道に進み、多摩美術大学に進学。卒業後は株式会社 Enjin に映像ディレクターとして就職し、テレビ番組などを多く手掛ける。2017年に社内サークルとしてCreem Panを発足。その活動の一環として、映画「今日もどこかで馬は生まれる」 を企画・監督し、2020年に同作が門真国際映画祭2020で優秀賞と大阪府知事賞を受賞した。2021年に Creem Pan を法人化し、Loveuma. の開発・運営をスタートする。JRA-VANやnetkeiba、テレビ東京の競馬特別番組、馬主協会のPR広告など、 多様な競馬関連のコンテンツ制作を生業にしつつメディア制作を通じた引退馬支援をライフワークにしている。
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>サラブレッドとは、瞬発力と闘争心を引き出すように生産・育成されている品種です。
競走馬のいわゆる「闘争心」について、いつか宮田さんの定義を聞かせていただきたいと思いました。というのも、競馬で勝ち負けにこだわるのは人間だけで、馬同士が優勝劣敗を意識してゴールに一着入線すべく「闘う」わけではないからです。
だとすれば、馬はどういう欲求/本能に基づいて、騎手の指示どおりに先へ先へと加速するのか?
自分のささやかなウマ経験から言えば、キーワードは「パーソナルスペース」だと思っています。
今では多くの競馬関係者が知っているように、サンデーサイレンスやシンコウウインディがレース中に併走馬に噛みついたのは、相手を邪魔して自分が優勝したい一心からではない。
馬は(いつでもすぐ逃げられるように)密着・拘束や閉鎖空間を嫌う性質があり、相手関係によって範囲が柔軟に変化するパーソナルスペースを確保しようとしますよね。
それほど親しくもない馬が隣にずうっとくっついたまま走っていると、イラっときて(あるいは怖くなって)追い払いたくなる。で、パーソナルスペースを守れと警告するために、噛みついてその場の上下関係をハッキリさせておこうとする。(つまり、レースはそっちのけ😅)
この時の馬の気持ちを「闘争心」と呼んでいいものか?
馬によっては、自分がグンと前に出て引き離す(=パーソナルスペースを広げる)ことができないのだったら、むしろ並ぶ間もなく追い越して行ってくれた方が、よっぽどせいせいするのではないかと想像します。
。。。とすると、馬群の中で安心しきってぬくぬく🐴♨️と落ち着いてしまうタイプの仔は、(パーソナルスペースを広げる必要を感じないので)仮に競馬で勝てなくても、乗用馬・コンパニオンホース・セラピーホースなどの適性ありなのかもしれません。
ヒトの存在を、自分を包み込んで守ってくれていたウマ仲間の延長と考えてくれれば嬉しい。😌💕
サラブレッドのリトレーニングは、馬と人間の個体間距離をより短い方に最適化する作業だと思います。
「馬をつくり直す」ための生理学的アプローチにも注目したい。
具体的には、リトレーニングに臨む元競走馬の食生活に興味津々です。
ポロポニーの作出にも使うクリオージョ(栗本さんの所有馬ではありません)とサラブレッドの自律神経機能を比較すると、前者の副交感神経の働きがより活発であることから、それ(=副交感神経のより優位な活動)がこの品種の気質の穏やかさにつながっているのではないかという研究報告がありました。
(数年前の日本ウマ科学会の学術集会で、東大農学部とJRA競走馬総合研究所が共同発表していたと思う)
ただ、サラブレッドでも、引退後に食餌内容を徐々に変えることによって、ある程度は副交感神経活動の亢進を促すことが可能だと(個人的には)思っています。
自律神経を整えるには腸内環境の正常化が前提なので、場合によってはサプリメントなども有効でしょう。
認定NPO法人サラブリトレーニング・ジャパンには、馬の栄養士さんもおられるのかな?
リトレーニング中のお馬たちの個々の飼葉レシピや飼付けの量・頻度などについて、いつか教えていただきたいです。🤓
>1日1回、30分かけてトレーニングしていた内容を、1回あたり10分にする
>そんな内容が濃い10分のトレーニングを、1日3回に分けてやってみた
ついきのうまでレースで走っていたような引退ホヤホヤの競走馬を相手に、1日1回30分かけて何をしておられたのか、それをどうやって10分ずつのセッションに3分割されたのか、トレーニングの具体的な内容を最初から知りたいですね。
YouTubeで拝見したルナちゃん(カワイイ💕)やプラくんなどは、すでにグラウンドワークの初級をクリアしている個体なので安心して見ていられますが、荒ぶる新入りに対してはどのようにアプローチしてプラくんレベルまで持って行くのか、そこを教わりたい。
これはぜひ、現場を見学に行かなければ。🧐
複数の馬が(飼付け前などで)一斉に前掻きしているときに、たとえばですが、「アイムアワイルドアンドクレイジーガイ、NO!!」と言うと、その名の仔だけピタッと前掻きをやめるようになるという、それもこの目で見届けたいです!(アイムアワイルドアンドクレイジーガイ号は2007年ケンタッキー・ダービーの出走馬:
🏇Street Sense 1番人気1着
🏇🏼Hard Spun 4番人気2着
🏇🏼Curlin 2番人気3着
🐴✨ Imawildandcrazyguy 13番人気4着 👏🏻👏🏻👏🏼👏🏽 )
冗談はさておき、馬は何音節までならハッキリ「自分の名前」と認識してくれるんでしょう?
ノーザンレイクの猫のメトさんは、睡眠・瞑想・休息中でも「メト」と呼ぶ佐々木さんの声に反応して耳が動くので、特定の音声を自分と関連付けていることがわかるし、犬もそう。
去年だったか、カナダのダルハウジー大学で165頭の飼い犬を対象にテストした結果、全犬種平均でヒトの言葉を89語ほど理解していることが明らかになったという記事を読みました。(最大215単語、最小15単語まで反応したとか)
1000語を超えて理解できる天才ボーダーコリーのチェイサーが話題になったこともありましたっけ。
馬も聴覚が優れ記憶力も抜群なので、言語による合図をいくつも理解してくれますね。
ただ、音節数については詳しい研究報告がなく、どのくらい長い単語まで覚えてくれるのかは不明です。
私など、日本の現役競走馬の9文字までの名前さえ満足に言えないことがある。個体認知のためのリトレーニングを受けるべきだと(馬たちに)思われているかもしれません。🥲