リトレーニングの原点は"カウボーイ"にあり‼︎|宮田朋典の「馬をつくり直す極意」1/4
引退馬の支援に関心がある方であれば、「リトレーニング」という言葉は、一度は耳にしたことがあるのではなかろうか。競走馬のセカンドキャリアを考える上で、欠かせないキーワードと言える。しかし「リトレーニングという言葉や意味は知っているけど、現場でどんな取り組みをしているかまではちょっと…」という方も多いのではないだろうか。
実際、ファン目線ではなかなか見えにくい部分でもあるのがリトレーニングと言える。現場でどのように馬と向き合い、そして送り出しているのか──。
そうしたリトレーニングの世界において、トップランナーとして知られるのが、宮田朋典さんだ。
今回は、認定NPO法人サラブリトレーニング・ジャパンのリトレーニングマネージャーとして活躍する宮田さんに、行動心理学やナチュラルホースマンシップの知見を用いた"リトレーニングの極意"について話を聞いた。第一回は、ご自身のこれまでの人生を振り返っていただき、どうやって日本国内でリトレーニングのトップランナーとして知られる技術が培われてきたのかを紐解いていく。
宮田朋典さん(本人提供)
「スポーツがとにかく苦手で…」
宮田朋典さんの持つ肩書きのひとつが、ホースクリニシャンというものだ。一般的には耳慣れない単語かもしれないが、ホースクリニシャンとは、行動心理学に基づいた調教技術、またはそれを用いたトレーニングを行う人を指す。アメリカの馬事業界では、ホーストレーナーのエキスパートを指す言葉として広く知られている。
宮田さんは、毎年、全米のトップクリニシャンが集うロード・トゥ・ザ・ホースにゲストとして招待され、2012年よりインターナショナル・ホースクリニシャンとしてメンバーに認定されている。
ロード・トゥ・ザ・ホースのメンバー達(本人提供)
現在では、ホースクリニシャンとして多くの引退馬をセカンドキャリアへと送り出している宮田さんだが、元々は馬と無縁の家庭で育ったという。
「僕はスポーツがとにかく苦手で…。体育ができなくて、クラスでいじめられていたほどです。人に迷惑をかけちゃいけないと思い込んでしまう性格もあって、『僕がいるからゲームに負けてしまった…』とウジウジしている様子も、今考えれば鬱陶しかったのかもしれませんね」
運動が苦手という、現在一線級で活躍するホースマンとしては意外とも言えるバックボーンを持つ宮田さん。馬と関わり始めたキッカケもまた、意外なものだった。
「昔から正義感が強くて、悪役を打ちのめす西部劇に憧れていたんです。映画に登場するアメリカ西部の保安官と言えば、テンガロンハットをかぶって馬に乗っていますよね。だから子供ながらに『じゃあ、まずは馬に乗れなきゃいけないな』と(笑)ただ、当時はお金もないですから、乗馬クラブで作業を手伝う代わりに、空いた時間で馬に乗せてもらっていました」
中学に入る頃から馬に乗り始めた宮田さんだが、その後2つの転機が訪れる。
"運命の出会い"を経て、アメリカへ
ひとつ目は、アメリカ留学。宮田さんの通う高校から選出された16名がアメリカの高校と交換留学するという機会があったが、親しい先生の推薦もあり、運良くアメリカへの切符を手にした。その留学生活では、アメリカの自由さを強烈に感じたという。
ふたつ目は、勤務先での出会い。こちらは、宮田さんが留学を終えて高校を卒業し、さらに看護学校を経て看護師になってからのこと。たまたま勤務先となった病院で、人生を左右する人物と出会った。
「理事長が、とあるオリンピック馬術選手のお父様でした。ご自身でも馬を所有されていて、ウエスタンをやられていたのですが、散歩がてらにどんどん乗りなさいという感じで僕にその馬をあてがってくれたんです」
理事長の馬に乗る宮田さん(右)(本人提供)
ウエスタンとは、カウボーイの騎乗技術から生まれた、アメリカ発祥の乗馬スタイルだ。牛を追うための俊敏な動きに加え、長時間労働の中で疲れることがないように、馬にとって自然な動きが求められる。欧州発祥のブリティッシュは競技として洗練された美しさが求められるのに対し、ウエスタンはより実用的な要素が大きい。馬に求めるものも全く異なるので、馬具から調教スタイルまで全く別物となっている。
看護師として働きながら、空いた時間で馬に乗ることが出来る環境。西部劇に憧れていた宮田さんにとって、ブリティッシュではなく、国内ではマイナーなウエスタンで馬に乗り続けることができたのも、大きな経験となった。
その後もしばらく勤務を続けていたが、ある時、オペ室の看護師長になってほしいという打診を受けた。ただ、激務の中で次々と辞めていく上司の背中を見てきたこともあり、その場では返事をせずに、自身の進路について再考することにした。
看護師時代の宮田さん(本人提供)
「自分の気持ちと向き合っていく中で『いや、僕、アメリカに行きたかったんだよなぁ』と思い出したんです。留学中に感じたアメリカでの自由な生活のイメージが、まだ頭の中に強く残っていて。看護学校に進学した際も、病院へ就職した際も"アメリカへ行きたい"という願望を、心の内に持ち続けていたんです。ですから、深くは悩みましたが、理事長には『やっぱりアメリカに行きたいんです。看護師をやめてアメリカに行きます』と答えました」
ウエスタンの本場・アメリカの牧場でアシスタントトレーナーに
退職後、すぐにアメリカへと飛んだ宮田さん。
かねてから好きだった馬の勉強をしたいと考え、職を探しながら全米各地を回った。
「カウボーイをやったり、国立公園の観光乗馬の日本人向けガイドをやったり…。職の幅を広げるために、ナチュラルホースマンシップの講座を受けたり装蹄の勉強をしたりもして、海外のライセンスも取りました。その中で、馬の専門の大学で先生のアシスタントをされているアメリカ人の方と日本人のご夫婦で経営している牧場を紹介してもらえたんです。そこは、レイニングという競技を中心に取り組んでいる牧場でした」
国立公園に勤務していた当時の宮田さん(本人提供)
アメリカ時代の宮田さんの師匠である トレイシー畠山さん(左)とウェスリー畠山さん(中央)(本人提供)
レイニングとは、カウボーイが牛を追いつめる際に必要な技術を1つのパターンに組んだ、ウエスタンにおける競技の一種である。急発進や急停止、急旋回など、ダイナミックな動きが特徴だ。
「全米トップクラスの馬を管理していた牧場でしたが、ちょうどアシスタントがいなかったんです。そうした背景から、タイミング良くそこでアシスタントトレーナーとしてお世話になることになりました。ただ、アシスタントトレーナーとして働くには馬の専門的な学問の知識が必要で、トレーナーから心理行動学などを叩き込まれましたね。」
アメリカの牧場でアシスタントをしていた時の宮田さん(本人提供)
アメリカに拠点を置き、心理行動学を用いて本場のウエスタン馬術や、ナチュラルホースマンシップ、装蹄を学んだ宮田さん。
しかし渡米から5〜6年が経過した頃、祖母が体調を崩したことをきっかけに日本に帰国することとなる。
「看病をする間だけと思って日本に帰ってきたんですけど、祖母が当初の見立てよりも少しだけ長生きしてくれたんです。同時にアメリカに帰る道がなくなってしまったんですが、ちょうどそのタイミングで、知り合いの乗馬クラブがオープンするということで、開業から1年ほど手伝うことにしました」
そしてその乗馬クラブで、またもや大きな出会いがあった。
ある日、乗馬クラブに見学しに来ていた女性が、宮田さんの馬づくりを見て感動し、号泣するということが起きたのだ。その女性は、自分で馬を飼って乗馬クラブをしたいと話していたという。
「はじめは『そんなに甘い世界じゃないですよ』と一蹴していたんです。僕としても、乗馬クラブの方が落ち着いてきたこともあってそろそろアメリカに戻る道を探そうかなと考えていたタイミングでした。ただ、本当に1人で牧場を作り始めようとしている様子だったので、次第に放っておけなくなったんです。アメリカに戻るまでは…と思いながらも牧場づくりを手伝っていく中で、いろいろと時間を共にすることが増え、あれよあれよという間にトレーラーハウスで13年、一緒に同棲していました。風呂もなかったので、馬の洗い場でシャワーを浴びて…という生活です。そうして作り上げた牧場が、カウボーイアップランチでした」
カウボーイアップランチとは、宮田さんが代表を務めていた宮崎県のウエスタン式乗馬クラブである。上述の女性と宮田さんの2人で、イチから作り上げたのだという。
アメリカで培った経験を日本で認めさせた"暴れ馬"の矯正
「代表を務めていた当初から、アメリカで学んだ調教の基本や行動心理学、ナチュラルホースマンシップの技術を日本にも転用できないかと思い、国内を回っていました。そんな折、北海道の牧場から、暴れ馬の矯正をしてほしいという依頼が届いたんです。なんと、これまでに人の指を8本、耳を2つ喰いちぎったという、とんでもない暴れ馬でした」
聞くだけでも恐ろしくなるような暴れ馬の矯正。しかし宮田さんたちは、試行錯誤の末、トレーニングを見事に成功させたという。
その成功は馬事業界内でも大きな話題となり、宮田さんの名は瞬く間に広まっていった。
馬産地では宮田さんのトレーニングや悪癖矯正、ゲート矯正、走らなくなった馬のメンタルやフォームの改善技術を求める声が後を絶たず、道外からも講習会の依頼が殺到したという。ただ、他所での仕事が増えると同時に、自らの牧場に戻る頻度は落ちていってしまう。
乗馬クラブの代表として経営に割くことのできる時間も減っていたことから、代表の座を上述の女性へと譲ることを決め、宮田さんはカウボーイアップランチを後にした。
それからというもの、ホースクリニシャンとして全国津々浦々を回っていた宮田さん。
ようやく落ち着いてきた頃合いに、以前から付き合いのあった、元JRA調教師であり認定NPO法人サラブリトレーニング・ジャパンの理事長を務める角居勝彦さんからのオファーを受け、活動拠点を岡山へと移し現在に至るという。
さて、次回は実際に、どのようなリトレーニングをしているのか、現場の基礎的な部分を紐解いていく。
(つづく)
取材協力:
宮田朋典
認定NPO法人 サラブリトレーニングジャパン
取材・文・制作:片川 晴喜
デザイン:椎葉 権成
協力:緒方 きしん
監修:平林 健一
著作:Creem Pan
監修者プロフィール:平林健一
(Loveuma.運営責任者 / 株式会社Creem Pan 代表取締役)
1987年、青森県生まれ、千葉県育ち、渋谷区在住。幼少期から大の競馬好きとして育った。自主制作映像がきっかけで映像の道に進み、多摩美術大学に進学。卒業後は株式会社 Enjin に映像ディレクターとして就職し、テレビ番組などを多く手掛ける。2017年に社内サークルとしてCreem Panを発足。その活動の一環として、映画「今日もどこかで馬は生まれる」 を企画・監督し、2020年に同作が門真国際映画祭2020で優秀賞と大阪府知事賞を受賞した。2021年に Creem Pan を法人化し、Loveuma. の開発・運営をスタートする。JRA-VANやnetkeiba、テレビ東京の競馬特別番組、馬主協会のPR広告など、 多様な競馬関連のコンテンツ制作を生業にしつつメディア制作を通じた引退馬支援をライフワークにしている。
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コメントありがとうございます
過去のLoveumagazine.『生かすことが幸せなのか 家畜商・X』の3/3でも少しコメントさせていただいたのですが、同じ藤原牧場の生産馬で同じスターロッチ牝系から出てクラシックレースを勝ったG1馬でも、ハードバージ号とウイニングチケット号の運命には天地の開きがあります。
ハードバージの悲劇の理由は多々あれど、一つには、馬に関する当時の(行動心理学、脳科学含む)科学的知見と育成や再調教の知識・技術が圧倒的に不足していたことが要因ではないかと。
国内に宮田さんのようなホース・クリニシャンがもっと大勢いてくださったら、と悔やまれてなりません。
時代の差はやはり大きいですね。
馬は「家畜」ですから、人の利益のために使役するものであって利益を生まなくなったら廃棄処分が当たり前、という考え方が、長いこと競馬関係者の間でも一般社会でも常識だったと思います。
その常識に疑問をぶつけたのは、馬の生産者でも競馬会でも馬主会でもなく、一般の競馬ファンと競馬をこよなく愛するターフライターたちでした。
彼らはハードバージの死に方に衝撃を受けます。皐月賞馬の過酷な末路が新聞報道されたのを機に、競走引退後の名馬の養老支援の必要性が強く意識されるようになったとか。この意識変革の火花から生まれたトーチを、現在の引退馬支援者が受け継いでいるのですね....🗽😮
ハードバージが遺してくれた教訓は、古い常識を揺るがして競馬民と競馬社会に(ささやかながら)覚醒をもたらし、年月を経て、ウイニングチケット始め何頭もの引退競走馬の穏やかな余生の実現につながりました。
だから、悲劇ではあっても無駄な死ではなかったと思いたい。チケゾーは同じ牧場で生まれて同じ血筋を引く名馬から、時を超えて「いのちの贈物」を受け取ったのだと思いたい。
そんなことを考えながら、これからも引退馬支援を続けていきます。
人との相互信頼の中で生きられるように「馬をつくり直す」リトレーニングの現場から、どんな景色が見えどんな声が聞こえてくるのか、次回も楽しみにしております!