「全頭生かせなければ意味がないのか?」引退馬協会代表理事・沼田恭子 1/3
今回は認定NPO法人
引退馬協会代表理事の沼田恭子さん
写真:認定NPO法人引退馬協会 代表理事・沼田恭子さん(写真:Creem Pan)
広島県生まれの沼田さんは、東京での大学時代に乗馬クラブに通うようになった。そこでご主人と出会う。卒業して結婚。乗馬クラブ、北海道の社台ファーム、千葉に移って競走馬の育成牧場と、沼田さんもご主人とともに移動した。ご主人が病気になったのを機に、元々好きだった乗馬を職業にしようと、乗馬クラブ(乗馬倶楽部イグレット)を設立した。だがご主人が病気で他界し、沼田さんは突然乗馬クラブを引き継ぎ運営することになった。これが引退競走馬と向き合う大きなきっかけになった。これは一般論だが、乗馬クラブでは乗馬として必要のなくなった馬は、クラブから出される。働けなくなった馬や、会員が乗るのに難しい馬などは、クラブ経営を圧迫する可能性が高い。乗馬クラブがビジネスである以上、これは仕方のないことでもある。沼田さんも、クラブを運営する過程で、馬を出すという経験をした。
「何度か繰り返すうちに、こんなのは嫌だ、やっていられないという気持ちになりました」
そして、この現実を変えるためにできることはないのかを考え始めた。これが引退馬協会の前身・イグレット軽種馬フォスターペアレントの会の設立に繋がった。
写真:北海道ツアー・ナイスネイチャを囲んで(提供:引退馬協会)
引退馬協会とは
「他の乗馬クラブでも会有馬を最後まで面倒を看ている所はほとんどなかったですし、ましてや経験のない自分ができないだろうと思いました」 思案する中で、沼田さんは里親制度を思いついた。里親制度というのは、1頭の馬をみんなで面倒を看る、いわば引退馬の1口馬主のような仕組みだ。 「インターネットが浸透しつつある時代でしたから、ネットで引退馬や里親制度についてアンケートを取ってみたんです。すると関心のある方が何十人もいて、これはやれるという感触を得ました」 だがまだ、引退馬という言葉自体がないに等しい時代でもあり、引退した競走馬の余生を考える人は少数派だった。 「ですから、その志を持って本当に馬のことを考える人々が集まって、どうしたら良いのかを一緒に検討したんですよね」 沼田さんを中心に、同じ志のある人々が集まって、1997年11月にイグレット軽種馬フォスターペアレントの会が設立され、ナイスネイチャの弟・グラールストーンが第1号のフォスターホース(上記制度によって養われる馬)となった。
グラールストーン号(提供:引退馬協会)
会設立までの間、様々な出会いもあった。ナイスネイチャの生産牧場でもある浦河町の渡辺牧場(当時は生産牧場で現在は養老牧場)の渡辺はるみさんや、漫画家のやまさき拓味さんなど多くの人に、その当時の引退馬事情についても教えてもらった。そんな中手探りではあるが、イグレット軽種馬フォスターペアレントの会は、引退馬の里親制度を中心に活動を進めていった。
第1号のフォスターホースであるグラールストーンのフォスターペアレント(里親)を募集したところ、当初は思うように会員が集まらなかったが、会員さんたちとアイディアを出し合い、メディアに取り上げてもらえるようになり、ようやく満口になった。その後、2頭目、3頭目と続いていった。里親制度で馬を生かしていくだけではなく、馬との触れ合いも重視した。
「馬を会員の皆さんにお披露目をして、ふれ合っていただいたのですが、競馬で走っている馬のデータなどでは知っていらっしゃっても、馬という生き物を本当に知らなかったんですよね」
沼田さんは、馬には人間と同じように感情があり、温かな血が流れてる生きている動物なのだということを会員をはじめたくさんの人に知ってもらうことがとても大切だと感じた。
「やはり馬に直接触れて体温を感じて、馬は生きているのだということを知ってもらわないと、引退した後に馬たちがどうなるのかを想像できないのではないかと思いました。」
それでふれあいのイベントを開催して、その中で曳き馬(馬に乗らずに手綱をもって馬と歩くこと)をしたり、馬と直接ふれあう時間をたくさん作った。
「それで皆さんが、以前より馬を身近に感じられるようになったのではないでしょうか」
現在はコロナ禍でイベントをなかなか開催できない状況だが、引退馬協会ではこの「ふれあい」を最も大切な活動のひとつと位置付けている。このふれあいをきっかけに、馬を命ある生き物と実感する。これが引退した馬たちの命をその先へと繋ぐ原動力となっていく。そう考えているからだ。その後、馬とのふれあいを体験した中から、自らが馬を引き取った人もあらわれるようになった。
そこから徐々に活動の幅を広げ、2011年には組織を法人化し、NPO法人引退馬協会と名称を改めた。さらに2013年には千葉県知事の認証を受けて認定NPO法人になった。フォスターペアレント制度を核に、競走馬から乗馬としてのセカンドキャリアを支援する「再就職支援プログラム」や、「引退馬ネット」(支援を行いたい馬の会を立ち上げ、会員を募って余生を支える人々のサポート業務)、東日本大震災の時の被災馬の支援、引退馬協会のフォスターホースとして引退馬協会の顔ともいうべきナイスネイチャの誕生日に合わせて寄付を募る「ナイスネイチャ・バースデードネーション」など、さまざまな活動を推進してきた。
フォスターホースは、これまでに看取った馬が12頭で、現在は内定を含めて29頭を数える。再就職支援プログラムは卒業馬が22頭おり、現在も7頭が次のステージに進むために調教中だ。
このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。
監修者プロフィール:平林健一
(Loveuma.運営責任者 / 株式会社Creem Pan 代表取締役)
1987年、青森県生まれ、千葉県育ち、渋谷区在住。幼少期から大の競馬好きとして育った。自主制作映像がきっかけで映像の道に進み、多摩美術大学に進学。卒業後は株式会社 Enjin に映像ディレクターとして就職し、テレビ番組などを多く手掛ける。2017年に社内サークルとしてCreem Panを発足。その活動の一環として、映画「今日もどこかで馬は生まれる」 を企画・監督し、2020年に同作が門真国際映画祭2020で優秀賞と大阪府知事賞を受賞した。2021年に Creem Pan を法人化し、Loveuma. の開発・運営をスタートする。JRA-VANやnetkeiba、テレビ東京の競馬特別番組、馬主協会のPR広告など、 多様な競馬関連のコンテンツ制作を生業にしつつメディア制作を通じた引退馬支援をライフワークにしている。
前回の増山大治郎さんが「乗馬クラブには馬と人の出会いがある」とおっしゃっていました。出会うことで救われる命があるのも本当ですね。
北海道の標茶(しべちゃ)町の道東ホースタウンプロジェクトに、釧路セントラル牧場(観光牧場ではないため一般見学は不可)という引退乗用馬の飼育預託を引き受ける牧場が参画しておられます。ここに係留中の「引退乗用馬」って中間種ばかりかと思いきや、ほとんどが元競走馬!
サントアサマ(現ミルキー)、マイネルクロップ、インタープロテクト、エイシンメルボルン(現メルボルン)、カネショウエイコウ(現ダンサー)、メローマズルカフェ(現スターバックス)、シンボリグラン、ダンスライズミー(現グンセッカ:群雪華)、ロードセレブレイト(現ショコラ)。
みんな、競走生活引退後にリトレーニングを受け、就職先の乗馬クラブで毎日頑張って仕事をこなし、会員さん始めたくさんの人から愛された結果、感謝をこめて平穏な余生をプレゼントされた。「乗馬」になったからこそ開けた運、つながれた命です。出会いへの扉を開くという意味でも、引退馬協会の再就職支援プログラムには意義があると改めて思いました。