「責任と義務」JRA調教師・鈴木伸尋 3/3
“元”猛獣・トモジャポルックス
写真:トモジャポルックスと鈴木伸尋さん(撮影:Creem Pan)
以前は調教師の立場として馬を引き取るのは難しいと感じていた鈴木さんだが、今はトモジャポルックスという芦毛の元競走馬のオーナーでもある。ではなぜトモジャポルックスを引き取ろうと思ったのだろうか。
「自分の厩舎の管理馬だったのですけど、人に対して攻撃的であったり、闘争心がある時もあればない時もあるといった難しい気性の馬でした」
本来であれば、そのような気性の馬は乗馬としては敬遠されがちだ。だが鈴木さんはあえて気性難のある馬を、リトレーニングやグランドワークを駆使して乗馬用に調教したいと考えた。
「このような気性の馬を乗馬にできれば、どんな馬でも乗馬にできる可能性があるでしょうし、自らの知識や技術を高めるためにもあえて引き取ったということですね」
競走馬時代のポルックスのオーナーも鈴木さんの考えを聞いて、とても喜んで譲ってくれた。だが競走から引退したトモジャポルックスは、鈴木さんの想像とは違っていた。
「現役時は猛獣みたいな馬でしたけど、トレセンというストレスのかかる場所から環境が変わってストレスフリーの場所に来ることによって、すごくリラックスして大人しくなったんです」
レースに向けてきついトレーニングを積んでいき、体も極限まで研ぎ澄まされる。そのようなトレセンでの状況とは正反対の、のんびりした空気感が、トモジャポルックスに与えた影響は大きかった。
「本来は穏やかで大人しい性質を持っていたのに、気性が難しくて猛獣のような馬という色眼鏡で見てしまっていたのかもしれません。1か月もしたら本当に大人しくなって、これがポルックス?というくらい、ちょっと拍子抜けでしたね」
さらにグランドワークという方法を取り入れ、人と馬との信頼関係を構築していく中で、短期間のうちに成長も見せた。
写真:グランドワークを行うトモジャポルックスと鈴木伸尋さん(提供:鈴木伸尋さん)
「グランドワークでは、例えば鈍化といって、いろいろなことに対して鈍くしていくということをします。競走馬は競走に勝つ、速く走るというのが目的なので、テンションを上げてピリピリする精神状況に持って行ってレースに臨むような面もありますが、乗馬では全く逆でどんなことにも驚いてはいけないですからね」
物音や人の動き、他の馬や鳥など動物の動きにも動じない、鞭にも過敏に反応しない、静かに平常心を保っていられる。そのような馬になるよう、グランドワークを行っていく。
「元競走馬の場合は鞭にものすごく敏感になっているので、少し触れただけでもビクッとしたり、ワッと走り抱いたりするのですけど、鞭や棒で馬体に触れても動じないようにしていきます」
鞭や棒以外には、ブルーシートやはためく旗、自動で開く傘の動きを見せたり、カンカン鳴る缶の音を聞かせてみたり、近くを通る車のそばに連れていって、いろいろなものに慣らす。このようにグランドワークを繰り返すことで、やがて初心者や子供が乗っても動じず安全な馬になっていくというわけだ。
「ただポルックスに関しては、最近難しい歩きや扶助を教え始めたので、ストレスがかかってきたのでしょうね。昔の気性の難しいところが少し出てきたかなという感じはしています」
このあたりにどう対処していくか。トモジャポルックスとの今後に、新たな課題が出てきたようだ。
子供たちに馬の素晴らしさを
写真:子供たちと馬のふれあいイベント(提供:佐々木祥惠さん)
コロナ禍前の2019年、つくば市の廃校になった小学校の校庭を利用して、地域の子供たちに触れ合ってもらうイベントがJRA美浦トレーニングセンターと日本調教師会関東支部が協力して開催された。馬に乗ったり、触れ合ったり、子供たちの笑顔がはじけたイベントで、もちろん鈴木さんも参加していた。
「1頭でも多くの馬に居場所を探してあげたいというのが目標ではありますが、それと同時に子供達に馬のすばらしさ、乗馬の面白さを伝えていかなければならないと感じています」
引退馬を乗馬にリトレーニングしても、その馬に乗る人や世話をする人がいないと、裾野は広がらない。競馬の世界でも人手不足が深刻で、育成牧場や生産牧場では外国人労働者に頼っているという現実がある。馬を次々と保護して支援をしても、馬に関わる人がいなければうまく回っていかないのだ。
「馬と人とは共存していかなければなりませんし、それが最終的には馬を救うことにもなり、日本において競馬や乗馬など馬業界が発展していくことに繋がると思うんですよね」
(資料:スポーツ庁「スポーツの実施状況等に関する世論調査(全文)」より、Creem Pan作成)
これは令和元年11〜12月にスポーツ庁が、スポーツの実施状況等に関する国民の意識を把握し、今後の施策の参考とすることを目的に行われた調査資料の中で、「あなたがこの1年間に行った運動やスポーツがあれば全部あげてください。」という質問に対しての10代男女の回答をもとに、独自に制作した表だ。 回答数が多かった4種目と乗馬を抜粋しているが、表からも分かる通り、若い世代にとって乗馬は他のスポーツと比べて人気が高いとは言えない。例えば、ひと学年200人の生徒がいたとすると、テニスを体験した生徒が20人いることに対して、乗馬は1人ということになる。
「幼い時に馬に触れる機会が日本ではほとんどないですよね。私たち競馬の世界の人間も、そこに力を入れてきませんでしたし。ですから子供たちに馬に触れてもらうことによって、乗馬人口が増えたり、馬業界に就職する人が増える可能性があります。乗馬人口が増えれば、自分の馬がほしいという人たちも出てきます。そうすればまた引退競走馬の居場所を増やすこともできると思います」
そしてコロナ禍が終了したら、2019年に開催したような子供たちが馬と触れ合うイベントを、個人的にもやっていきたいと語った。
責任と義務
「馬に食べさせてもらっている」。馬業界で働く方々から、よく発せられる言葉だ。そこには馬への感謝の気持ちが込められている。だが経済的負担の大きい馬の一生に責任を持つというのは容易ではない。馬によって糧を得てる人々は葛藤を抱えつつ、目の前の馬と向き合い続けているはずだ。 「自分の生活もそうですし、いろいろなところで馬たちに救われている人がいます。だから恩返しと言っては大袈裟かもしれないですけど、馬たちと人が共存できる世の中にしたい、いやしなければならない。やはり競馬や乗馬の世界の人たちは、そうする責任と義務があるのではないかと思っています」 もし乗馬になれなかったら、乗馬や繁殖で必要がなくなったら、その時は屠畜されても仕方ない。これまでは馬業界全体がそのような傾向にあった。だが馬の養老余生について責任と義務があると鈴木さんは明言した。 全ての馬をすぐに救うことは難しくても、その理想に向かって進んでいく。それが鈴木さんのモチベーションになっているようだ。 「僕も、もう年齢も重ねていますので、いつどうなるかわからないというのもあります。だからやりたいことがあったら、すぐに行動に移したいですよね。だからコロナでなかなか進まないのが少し歯がゆいです。それでも子供たちに馬と触れ合ってもらうことと、馬の居場所を見つけてあげること、この両方をやっていかなければならないと思っています」
取材を終えて
鈴木さんは現役の調教師でありながら、国内でも有数の引退馬支援の活動家である。本業は馬を鍛えて競馬で勝つことなのは間違いないが、時として引退馬支援がそれ以上に熱心に映ることもある。そんな姿を見て「そこまでする、原動力ってなんですか?」と尋ねたとき、鈴木さんが口にしたのが「責任と義務」という言葉だった。 日本のホースマンたちの誇りと情熱によって、我が国は世界でも有数のトップクラスの競馬大国となった。そして次は、ホースマンたちの「責任と義務」が試される時代が来ているのかもしれない。 協力:鈴木 伸尋さん 阿見乗馬クラブ 制作:片川 晴喜 写真:平本 淳也 文:佐々木 祥恵 取材・構成・編集:平林 健一 著作:Creem Pan
監修者プロフィール:平林健一
(Loveuma.運営責任者 / 株式会社Creem Pan 代表取締役)
1987年、青森県生まれ、千葉県育ち、渋谷区在住。幼少期から大の競馬好きとして育った。自主制作映像がきっかけで映像の道に進み、多摩美術大学に進学。卒業後は株式会社 Enjin に映像ディレクターとして就職し、テレビ番組などを多く手掛ける。2017年に社内サークルとしてCreem Panを発足。その活動の一環として、映画「今日もどこかで馬は生まれる」 を企画・監督し、2020年に同作が門真国際映画祭2020で優秀賞と大阪府知事賞を受賞した。2021年に Creem Pan を法人化し、Loveuma. の開発・運営をスタートする。JRA-VANやnetkeiba、テレビ東京の競馬特別番組、馬主協会のPR広告など、 多様な競馬関連のコンテンツ制作を生業にしつつメディア制作を通じた引退馬支援をライフワークにしている。
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このコンテンツは、映画「今日もどこかで馬は生まれる」公式サイト内「引退馬支援情報」ページにて2021年6月から12月にかけて制作・連載された記事の転載になります。
引退馬支援者にとって、鈴木先生の存在は非常に大きく心強いものです。「引退馬」を訪ねて全国を回ってくださる現役調教師さんなんて聞いたことがありません。競馬の発展に尽くすことと引退競走馬の支援活動は矛盾しないということを、身をもって教えてくださいます。
今、全国各地で動物園の存続の是非が問われています。人工的な飼育環境が動物虐待にあたると考え、いっそ全廃した方がいいという意見もある一方で、「動物園がなかったら、僕の生き物好きは発展しなかったかもしれない」という作家の川端裕人氏のような声もたくさん聞こえてきます。
同様に、「競馬を知らなかったら、引退馬の支援をしようとは思わなかったかもしれない」という人は、決して少なくないはず。近年の支援者層拡大につながった「ウマ娘プリティダービー」も、競馬がなかったら絶対に誕生してないゲームでした。
引退馬支援者は競馬廃止論者ではないと思うし、ヴェジタリアンである必要もない。競馬が生み出す数々のドラマに触れたからこそ、感動は熱い思いとなり目の前の「この一頭」を生かす原動力に変わるのです。鈴木先生、現役の子も引退した子も、変わらぬ愛情でよろしくお願いいたします。(ポルックス、かわいい❣️)